ゼネスト後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 19:04 UTC 版)
大学生や国立劇場俳優のストライキはこのあと12月29日まで続いた。この間、チェコスロバキア共産党と「市民フォーラム」および「暴力に反対する公衆」による実務者協議が始まり、円滑な体制転換についての折衝が重ねられた結果、共産党の一党独裁放棄と複数政党制の導入を行うことで双方が妥結。複数政党制による連邦議会総選挙の結果、チェコでは「市民フォーラム」が、スロバキアでは「暴力に反対する公衆」が第一党となり、ドゥプチェクが連邦会議議長、ハヴェルが大統領に就任し、12月に非共産党系による新政権が発足した。 一方同月には、治安部隊によるプラハ市内のデモ隊弾圧の容疑でプラハ市共産党委員会の元第一書記、ミロスラフ・シチェパンが逮捕され、かつて政治犯としてハヴェルが収監されたことがあるチェコ・プルゼニ市近郊のボリー収容所に収監された。のちにシチェパンは1988年に行ったデモ弾圧の権力乱用の罪で、懲役2年6月の判決を受けた。 革命の副産物として、1948年の共産化以来チェコスロバキアを離れていた名指揮者のラファエル・クーベリックが、ハヴェルの強い要請を受けて帰国した。クーベリックは当時持病の関節炎や痛風の悪化に加え、作曲家としての活動に専念するため指揮者としては引退していたが、1990年のプラハの春国際音楽祭でスメタナの「わが祖国」全曲をチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して演奏し、奇跡の復活を遂げた。なお、この際にクーベリックはチェコ・フィルハーモニー交響楽団から終身名誉指揮者の称号を授与されている。
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