セーブ・ホエール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:58 UTC 版)
「海へ (武満徹)」の記事における「セーブ・ホエール」の解説
1971年にカナダで創設されたグリーンピースは、1975年から鯨保護(Save the Whale)キャンペーンを展開していた。グリーンピース財団はその一環として作家や写真家など様々なアーティストの作品を収録した書籍を発行することを企画し、作曲家にも協力を求めた。レナード・バーンスタイン、ジョージ・クラム、マリー・シェーファー、ジョン・ケージ、ヤニス・クセナキス、ロディオン・シチェドリンなど11名の作曲家がこれに応じて楽曲の草稿を提供し、武満はその中の一人として『海へ(I)』の第1曲「夜」を作曲した。なお、出版譜の「夜」の末尾には「August 1980 Tokyo」と記されている。 「夜」は1981年2月、カナダのトロントにおいて、ロバート・エイトケン(英語版)のアルトフルートとレオ・ブローウェルのギターによって初演され、その後、第2曲「白鯨」と第3曲「鱈岬」が書き加えられた。 追加された2曲のタイトルはそれぞれ、アメリカの作家メルヴィルが1851年に発表した小説『白鯨』、19世紀に捕鯨船の基地として栄えたアメリカのケープコッド(鱈岬)に因んでおり、いずれも鯨に関係しているもののグリーンピースの鯨保護とは趣旨が異なっている。これは武満が、自然環境を保護しようというグリーンピースの精神や実践には深く共鳴しながらも、捕鯨に対する考え方が彼らとは異なっていたことによるものである。武満自身は以下のように述べ、『海へ』は「万物を生み出す海への頌歌(ほめうた)」であると説明している。 「夜」のあとに「白鯨」と「鱈岬」を書き加えたのは、多少はかれらへの皮肉というものであり、またいくらか私の立場を表明したことになる。 なお、武満は1964年の春にハワイを訪れた際にワイキキビーチの沖合で潮を吹くザトウクジラの姿を見ており、後年に書いた文章「西も東もない、海を泳ぐ」の中で、この時の印象を以下のように記している。 夕暮れの浜に立つと、既に海は暗く、水平線だけが燃えたつように黄金色に光って、鯨の黒い影は、現世のものとも思えぬほど、典雅に映った。言い知れない感動にとらえられ、私は、暫くは、身動きもできなかった。
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