セーチェーニ鎖橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:44 UTC 版)
「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「セーチェーニ鎖橋」の解説
詳細は「セーチェーニ鎖橋」を参照 セーチェーニ鎖橋は世界遺産登録地域に含まれる3つの橋のうち、真ん中の橋である。現在ブダペスト市内でドナウ川に架かる9つの橋の中で最も古く、最も美しいと言われている。全長は375 m。 従来は浮橋や仮設の橋が使われており、これがブダペストに架かった最初の固定的な橋となった。建造は1839年から1849年のことで、イギリス人の設計士ウィリアム・クラーク (William Tierney Clark) と技師アダム・クラーク (Adam Clark) が手がけた。その建設費用はセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵が自らの私財から捻出した。ブダペスト市の成立が決まったのは1872年のことで、橋が建設された段階ではブダとペシュトは別々の町だったが、この橋の建設はブダペストの公式な統一に先んじて、2つの町を一体化させるものだった。なお、セーチェーニ伯爵は「ブダペスト」(ブダペシュト)という名称を最初に提示した人物とされている。 現在広く見られる吊橋は、メインケーブルとして鋼線をよりあわせたケーブルを使う「ケーブル吊橋」の構造であるのに対し、セーチェーニ鎖橋は、「チェーン(式)吊橋」と呼ばれる構造で、 アイバー (eyebar) と呼ばれる両端に丸穴の開いた鉄板を重ね合わせてボルトで固定したアイバー・チェーンを使用している。そのため、このチェーンは環状の金属を連ねた「くさり」ではなく、自転車のチェーンに近いと言われることもある。この構造は吊橋としては古いもので、橋桁そのものだけでなく、かなりになるアイバーチェーンの重み自体も支えられるようにしなければならないことから、採用されることは少なくなっていった。しかし、セーチェーニ鎖橋では1914年に改修されたときにも、第二次世界大戦中にソ連軍と交戦していたドイツ軍によって破壊され、建設百周年に当たる1949年に再建されたときにも、チェーン吊橋の構造が堅持されて今に至り、「鎖橋」の名前はこの構造に由来するとも言われている。 鎖橋(昼間) 鎖橋(日没) 鎖橋(夜景)
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