セッションそしてツアー・ミュージシャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:36 UTC 版)
「デヴィッド・サンシャス」の記事における「セッションそしてツアー・ミュージシャン」の解説
デヴィッドの才能はクラシック、ロック、ジャズ、ブルースからファンクまでジャンルを問わず発揮され、それが返ってソロ活動を阻害したのではとも言われている。その代わり、周りからの尊敬を集め、ピーター・ガブリエルなどは彼を「ミュージシャンの中のミュージシャン」と称す程である。お陰で彼は食い詰めたことが無い。ソロを志向しようとしていた頃でさえ彼の能力は引く手数多であり、1970年代には既にジャスやフュージョン界でそれなりの評価を得ていた。スタンリー・クラークの公演に呼ばれたり、ジョン・マクラフリンやビリー・コブハムのバンドでギターやキーボードを演奏するなど、仕事は引っ切り無しにあった。 1980年代初頭は、再びビリー・コブハムと組んでジャック・ブルース&フレンズの一員に加わったり、テレビ番組「The Old Grey Whistle Test」や「Rockpalast」のバンドに参加するなどの活動をしていた。1984年には、復帰するアレックス・リガートウッドと共にサンタナにも加入した。 1977年には、ナラダ・マイケル・ウォルデンのデビュー・アルバム制作にゲスト参加。これは、プロデューサーとソングライターが共同作業を執る最初の例の一つに挙げられる。1980年代、ウォルデンは録音セッションを、デヴィッドにランディ・ジャクソンとコッラード・ルスティーチも含めたチームで数多く行なった。このチームによる録音セッションを受けたミュージシャンには、アレサ・フランクリン、パティ・オースティン、Eストリート・バンド出身のクラレンス・クレモンズらがいて、制作は全てウォルデンが担当している。更に、ルスティーチ(イタリアのプログレ・ジャズ・バンド「ノヴァ」のメンバーだった)がイタリア人ミュージシャンをプロデュースするに辺り、ウォルデンやジャクソンと共に加わった。このセッション参加は、ズッケロの複数のアルバムにおいて有名である。 一方、1988年までデヴィッドはピーター・ガブリエルのツアー・メンバーに加わり、アムネスティ・インターナショナルの「ヒューマン・ライツ・ナウ!ツアー」にも出演した。それが縁で再びスプリングスティーンとEストリート・バンドを小規模ながら再結成をすることとなり、以後、スプリングスティーンのアルバム制作に何枚か加わっている。また、ツアー・メンバーとしてはスティングやユッスー・ンドゥールの公演にも参加、特にスティングは2枚のアルバム制作にも加わった。他にも、リヴィング・カラー、シール、ブライアン・フェリー、ジュリア・フォーダム、ロビー・デュプリー、ナタリー・マーチャント、エリック・クラプトン、イエスのジョン・アンダーソン、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、元マグマのヴァイオリニストとして知られるディディエ・ロックウッドといった多くのミュージシャンをサポートした実績を持っている。 2000年代に入ってから、久々のソロ・アルバムを2作リリースしている。
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