セッションから加入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:47 UTC 版)
「HEATH」の記事における「セッションから加入まで」の解説
当時Xは新しいベーシストの一般公募と平行して、X側からも一緒に音を出してみないかとジャンル問わず様々な人に声をかけていた。ベーシストの条件は「男性で、一緒に音を出して楽しいかどうか・感覚的に馬が合うかどうか・俺たちとピッチが合うかどうか」だった。公募の中には男性という条件にもかかわらず、女性も多数テープを送ってきていた(後日談だが、中にはベースは一切演奏できないにも関わらず、デモテープに意気込みだけを延々と吹き込んできた熱心なものもあったという。)。沢山のテープの中から実際にオーディションに来てもらった人もいたが、なかなか加入に至るまでの馬が合う人はいなかったという。そんな中で名前が挙がったのがHIDEの知り合いのHEATHだった。 1992年1月のX東京ドーム3days(TAIJI脱退ライブ)の数ヵ月後、HIDEはHEATHに電話をする。HEATHは飲みの誘いと思っていたが、ベーシストオーディション勧誘(正確には「音を一緒に出してみないか」というセッション勧誘)の電話だった。HEATHはXが新しいベーシストを探していることは友人に聞いて知っていたが、当時は自身のバンドであるmedia youthもあり応募しようとは全く思っていなかった。そのため、勧誘の話をされてもHEATHは他のバンドのベーシストを紹介したりしていた。 HEATHはその後、自身のバンドへの迷いがあったこともあり、入る入らないは別としてセッションならやりたいと承諾。結局、実際にはオーディションではなく、Xメンバーのほうからの希望でセッションと言う形でHEATHに来てもらう事になった。 最初のセッションの時の演奏曲は「Standing Sex」「BLUE BLOOD」「ENDLESS RAIN」「Joker」「Sadistic Desire」の5曲。その前日から当日朝までHIDEとHEATHが一緒に飲んでいたこともあり、HEATHは二日酔いの状態でセッションに参加。仮眠も1、2時間ほどしかとらずHEATHは「間違えても仕方がない」と緊張していなかったがほぼ完璧に弾きこなす。逆にメンバーのほうが緊張して「下手なのがバレてナメられないようにしないといけないと思ってコチコチに緊張していた」と語る。物怖じしない性格や、終わって片づけをして、「じゃあ、結果は後日〜」とすぐに帰ってしまったHEATHに対しHIDEとPATAは「大物だ」と感じたと同時に、「こいつはXにいてもおかしくない」と思ったという。 その日のうちにHEATHのもとに「メンバーはHEATHを気に入ったがHEATHはどうだったか」という連絡が入る。さらにしばらくして、やはりベースはHEATHが良いとメンバー内で一致。すぐにHEATHに電話をするが、HEATHはそのとき自身で再結成させたバンドのこともあって、少し考えさせて欲しいと言った。結局2週間色々考えた末、セッションが楽しかったこともあり、決心して加入承諾の連絡をする。後のインタビューでHEATHは「あの中にいて違和感がなかった」「ピンとくるものが、Xに対してはすごく強くあった」と語っている。加入が決まったのは1992年5月中旬、HEATH24歳の時であった。 かくして1992年8月24日午後6時、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンのロックフェラーセンター・レインボールームにてX新ベーシストとして正式に紹介されることとなる。 雑誌でのhideのインタビューによれば、「HEATHは(X JAPAN加入後の)初ライブが東京ドーム、初テレビ出演が紅白歌合戦だった」という。
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