スリナムへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:07 UTC 版)
「マリア・ジビーラ・メーリアン」の記事における「スリナムへ」の解説
1699年、マリアは調査旅行の資金調達を始め、果実や草木、昆虫を描いた絵を売りに出した。財産分与の相続人に娘たちを指名し、遺言書を整えた。女性が男性の同行者なく旅行することが珍しい時代に、マリアは個人による学術調査のために資金援助をとりつけ、旅を実行し、その成果を書物として出版した最初の女性となった。6月、友人たちの反対を押し切ってマリアはアムステルダム市からの資金援助を受け、次女のドロテア・マリア(英語版)とともに帆船でアムステルダム港を出港しスリナムに向かい、8月に到着した。 スリナムに到着し、首都パラマリボに住んだ。ヨーロッパの支配者層は昆虫に興味を抱くマリアに戸惑ったが、インディオたちは協力を惜しまなかった。他の先住民との交渉や、植物や昆虫の探査に都合がよかったため、アフリカ人奴隷とインディオの女性を助手として雇った。熱帯雨林の気候をものともせず植民地周辺の固有動植物をスケッチしてまわっては、それらの名称や土地での用いられ方などの詳細を記録した。その過程で、オランダ人農場経営者たちが土地の人々を酷使する様を目の当たりにし、これを強く批判もした。1701年、マリアは病気(おそらくマラリア)に感染し、オランダへ帰国せざるを得なくなった。スリナムでのマリアの積極的な活動は2年間に渡った。
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