スペースリサーチコーポレーション
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「ジェラルド・ブル」の記事における「スペースリサーチコーポレーション」の解説
HARPが中止される前年の1967年、スペースリサーチコーポレーション(SRC)をカナダのケベックに設立し、火砲の設計を請け負った。 SRCの最初の成功は1973年にイスラエルとアメリカを相手にした武器の販売であり、バリー・ゴールドウォーターらの後押しでアメリカ議会から市民権が与えられた。 SRCが開発した長距離射程のGC45 155mm榴弾砲は、改良型のGHN-45としてオーストリア、南アフリカ共和国、スペインなど世界各国に輸出された。後に南アフリカをこれを自走砲化させたG6 155mm自走榴弾砲を開発してアラブ首長国連邦などに輸出した。しかし、SRCがG5 155mm榴弾砲を共同開発したアームスコー社の南アフリカは当時アパルトヘイトに対する制裁を受けており、この行為は違法とされ1980年、禁固刑に処せられた。 釈放後はカナダを離れ、SRCはベルギーのブリュッセルに活動の拠点を移した。出所したブルに接触してきた中華人民共和国にも度々訪れて鄧小平との会見や大学での講義も行っており、1986年に中国北方工業公司(ノリンコ)とWAC-021 155mm榴弾砲(英語版)を共同開発した。これはアメリカの輸出規制に抵触していたが、アメリカ合衆国国防総省は対中貿易管理の見直しで協力したとされる。暗殺によってブルが事実上最後に開発した兵器となったが、中国がこれをベースに自走砲化させた88式155mm自走榴弾砲(英語版)はクウェートやサウジアラビアなどに輸出された。ブルは長距離射程・大口径の203mm榴弾砲の開発も受注してイラン・イラク戦争中のイランとイラクへの輸出を中国は計画したともされるが、これは完成しなかった。
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