スウィング委員会
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「第11空挺師団 (アメリカ軍)」の記事における「スウィング委員会」の解説
アイゼンハワー元帥は、ハスキー作戦を受けて空挺の役割を見直し、大規模な部隊編成は戦場で統制するのが難しく、現実的でないと結論付けた。陸軍地上総軍司令官のレスリー・J・マクネア中将も同様の不安を抱いていた。マクネア中将は、かつて空挺の支持者であったが、北アフリカ、シチリア島における相次ぐ空挺作戦の失敗に大いに失望していた。しかし、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル元帥などの陸軍高官は空挺作戦は有効であると信じていた。そこで、マーシャル元帥がアイゼンハワー元帥を説得し、審査委員会を設置し、1943年12月に計画されていた大規模な演習の結果が出るまで評価を保留させた。 1943年9月中旬に第11空挺師団の師団長に復帰するためにアメリカに帰国したスウィング少将は、その演習を準備する役割を担った。スウィング少将は、アメリカ陸軍航空軍士官、空挺歩兵士官、パラシュート歩兵士官、砲兵士官で構成される委員会(スウィング委員会)の設置を命じ、その演習の目的である師団規模の空挺部隊の運命を決定するために、効果的に空挺部隊の能力を発揮できるように調整を進めた。第11空挺師団は、アメリカ国内にいる予備役部隊であり、いまだ戦闘に参加していなかったためスウィング委員会は、この部隊を演習に参加させることを決定した。第82空挺師団と第101空挺師団が数か月前に実施した大規模な演習と同じ成果を残せるように、第11空挺師団の各部隊は、更なる訓練を積んだ。 "私は空挺師団を信用していない。私は、空挺部隊を歩兵、砲兵、特別任務の各部隊を含む自己完結型の連隊戦闘団に再編制するべきだと信じている。(中略)師団を、いつでも、どこでも運用するためには、広大な地域に降下する必要があるため、師団長がそのような師団全体に対し指揮権を発揮し、飛散した部隊を一つの部隊として運用できるか、私は真剣に疑っている。 " –ハスキー作戦におけるアメリカ空挺部隊の能力に対するアイゼンハワー元帥の評価の結果
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