ジョット作ではないかといわれるその他の作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 23:50 UTC 版)
「ジョット・ディ・ボンドーネ」の記事における「ジョット作ではないかといわれるその他の作品」の解説
ジョットの絵画ではないかと考えられている多くの作品、特にヴァザーリがその著書でジョットが描いたと記述している作品についても、サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画と同様に大きな議論になっている。ヴァザーリは『画家・彫刻家・建築家列伝』で、ジョットの最初期の作品はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のドミニコ修道会のために描いた絵画群であるとしている。これらの絵画の中には受胎告知や未完成ではあるが高さ5メートルに及ぶ巨大なキリスト磔刑図がある。1290年ごろの作品と考えられており、サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画と同時代の絵画ということになる。その他ジョットの初期の作品ではないかと見なされているものに、フィレンツェのサント・ステファノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館所蔵の『サン・ジョルジョ・アッラ・コスタ聖堂の聖母子』や、ルーブル美術館所蔵の『聖痕を受ける聖フランチェスコ』がある。 1287年にジョットは20歳前後で通称シウタと呼ばれる女性と結婚し、夫妻の間には8人以上とも言われる多くの子供が産まれた。その中の一人フランチェスコは後に、父親と同様に画家になっている。ジョットは1297年から1300年にかけてローマで活動していたが、そのころの記録はほとんど残っていない。ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂には、1300年のローマ教皇ボニファティウス8世の聖年のために描かれたフレスコ画の一部が収蔵されている。同時代の作品として『バディア家の祭壇画』がウフィツィ美術館に所蔵されている。 当時ジョットの画家としての名声は高まる一方だった。パドヴァやリミニといった都市に招かれて絵画制作を行なったが、現存している作品は1309年以前に描かれたマラテスティアーノ教会に残る『キリスト十字架像』だけである。この作品はジョヴァンニ・デ・リミニやピエトロ・デ・リミニら、リミニ派の成立に影響を与えている。1301年から1304年の記録によれば、当時のジョットはフィレンツェに大邸宅を構えており、大きな工房を経営してイタリア全土から絵画制作依頼を受けていたと考えられる。
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