ジャズ、ブルーノート・レコード、美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/07 18:03 UTC 版)
「ジョン・ハーマンセイダー」の記事における「ジャズ、ブルーノート・レコード、美術」の解説
1939年、ハーマンセイダーは、妻のローズマリー (Rosemary) とともに、ニュージャージー州ニューアークでジャズ愛好家たちの集いの場であるホット・クラブ (Hot Club) を創設した。ハーマンセイダーは、その初代会長となった。 1951年、ブルーノート・レコードが10インチ盤を出し始めた際、ハーマンセイダーは、ポール・ベイコン(英語版)やギル・メレとともに、レーベル最初のデザイナーたちのひとりとなった。モザイク・レコードのマイケル・カスクーナは、後に当時を回想して「ジョン・ハーマンセイダーやポール・ベイコンが本当にやっていたのは、音楽の感覚をひき起させることだった。連中はバウハウスのデザインから、本当に別世界のもののように思えるものまで、何でも使った。」と述べており、さらにアンジェリン・グラント (Angelynn Grant) は「人々がブルーノートのカバーについて思いつくのは、フランク・ウルフの写真とリード・マイルスのデザインよね。でも、彼らが進んだ道を拓いたのはジョン・ハーマンセイダーなのよ。」と語っている。『Blue Note Records: The Biography』の著者Richard Cookは、「ハーマンセイダーによる、写真と文字の独特のバランスは、その後何年も続くブルーノートのこだわりを反映したものになっていた。」と述べている。 「ジョン・ハーマンセイダーは油彩画にも情熱をもって取り組んでおり」、「美しく詩的な抽象表現には、豊かな色彩と動きが満ちていた」とされ、「彼は抽象表現主義の画家であり、ジャズを聴くことから作品のインスピレーションを得ていた」とも言われている。彼の作品は、1951年から1958年にかけてロングアイランドのサンクン・メドウ (Sunken Meadow) の現代美術ギャラリー (Gallery of Contemporary Art) に展示され、1956年にはパノラス・ギャラリー (Panoras Gallery)、1958年にはアートUSA (Art USA) にも展示された。彼の作品は、ペンシルベニア州のシュウェンクフェルダー美術館(英語版)に所蔵されているほか、何人ものコレクターたちの個人蔵となっている。
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