シーラカンスの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 17:11 UTC 版)
「マージョリー・コートニー=ラティマー」の記事における「シーラカンスの発見」の解説
コートニー=ラティマーは、岩石、羽、貝殻その他博物館に適当な物を集めて忙しくしていたが、漁師たちには知られていた珍しい生物を見たいと思うようになった。1938年12月22日、それらしい魚がかかったという電話を受け、Hendrik Goosen 船長の水揚げを検分しに波止場に向かった。「幾層にもなった粘着物をはぎ取っていくと、今まで見たこともない美しい魚が現れました。長さは5フィート(150cm)ほど、わずかに紫がかった薄い青色で、かすかな白い斑点が散らばっていました。全体を覆っていたのは銀色から青を経て緑に至る虹のような光沢です。全身は硬い鱗で覆われ、4本の脚のようなヒレと、子犬のような変わった尻尾がついていたのです」。 コートニー=ラティマーはその魚をタクシーで博物館まで運び、自分の所有する資料に記載がないか探したが見つけることはできなかった。魚はぜひとも保存しておきたかったが博物館に設備がなく、死体置き場へ運んだものの受け入れは断られた。コートニー=ラティマーは友人でローズ大学(英語版)で教えていた魚類学者ジェイムズ・レナード・ブリアリー・スミス(英語版)にコンタクトを取り同定の助けを得ようとしたが、長期不在であったためやむなく剥製師に頼んで内臓を抜き去り剥製にした。 1939年2月16日にやっと到着したスミスにはすぐさま魚がシーラカンスであるとわかった。「疑問の余地はありませんでした。それはまさしく2億年前の生物が1体、再びよみがえってきたのに違いありませんでした」。スミスはその魚に Latimeria chalumnae という学名を与えることになった。Latimeria は友人であるコートニー=ラティマーから、chalumnae は発見地である Chalumna River からとったものである。2匹目のシーラカンスが見つかるのはそれから14年後のことであった。
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