シーラスの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 05:27 UTC 版)
「デ・ハビランド ジプシー」の記事における「シーラスの開発」の解説
1925年、ジェフリー・デ・ハビランドは、スポーツ軽飛行機で使用できる信頼性が高く安価なエンジンを探していた。それは、自身のお気に入りである第一次世界大戦で使われた240 hp (180 kW) の空冷V型8気筒エンジン ルノー 8G(英語版)を重量・出力とも半分にしたようなものであった。ハルフォードは、ルノー 8Gの半分となる4気筒のクランクケースを作り、そこにルノー 8Gのシリンダーを半セット、さらにルノー製の部品や自動車エンジンでも使用される標準部品を組み合わせて、デ・ハビランドの望むエンジンを作り上げた。完成した直列4気筒エンジンの出力は 60 hp (45 kW) に留まり、馬力こそ不足していたものの当時の軽飛行機用エンジンのすべてと比べても優れていた。最も重要なことは、競合他社が高高度での飛行に適合させたオートバイ用エンジンだったのに対し、シーラスは真の航空用エンジンであったことである。エンジンを確保したデ・ハビランド・エアクラフトはDH.60の生産を開始したが、信頼性の高い動力源と信頼性の高い機体を組み合わせたDH.60により、英国での本格的なスポーツ飛行の歴史が開かれた。 しかし、引きも切らぬ好調な受注が仇となって、1927年までにはシーラスを生産するためのルノー製部品が枯渇し始めた。DH.60はデ・ハビランド・エアクラフトの稼ぎ柱であり、その生産が止まることは同社にとって死活問題であったことから、自前のエンジン工場を立ち上げることを決定した。ジェフリー・デ・ハビランドは旧友ハルフォードを再び訪ねて自社工場で生産するための新たな航空エンジンの開発を依頼した。こうして開発されたのが出力105 hp (78 kW) のシーラス ヘルメス(英語版)であった。
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