シューマッハの失速とヒルの反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:33 UTC 版)
「1994年のF1世界選手権」の記事における「シューマッハの失速とヒルの反撃」の解説
第8戦イギリスGPではヒルがPPを獲得し、シューマッハは予選2位に留まった。そして、決勝のスタート前のフォーメーションラップ中に2番手のシューマッハが前を走るヒルを数度に渡って追い抜くという事件が発生した。ルール上は、このペナルティとしてシューマッハは最後尾のグリッドからスタートしなければならなかったのであったが、シューマッハはそのまま2番グリッドから決勝レースをスタートした。ペナルティを消化しなかったことを受け、審判団からシューマッハに対して5秒のペナルティが課せられたが、審判団はピットレーンでの5秒間のペナルティストップを課したつもりであったが、ベネトン側はレース終了後のタイムに5秒加算されるものと思い込んでおり、シューマッハはレースを続けるという事態となる。審判団はシューマッハがペナルティに従っていないと判断し、シューマッハに対して黒旗を出す事態となり、決勝レース中にベネトンの首脳陣が慌てて審判団に事情を聴くことになってしまった。結局ベネトン側は処分を受け入れ、黒旗が出されてから6周後にシューマッハはピットレーンにてペナルティストップを行っている。このピットストップの影響もあって、イギリスGPではヒルが優勝し、シューマッハは2位という結果となった。しかし、決勝レースから約2週間後の7月26日に、パリのFIA本部にて世界モータースポーツ評議会が招集され、黒旗に従わなかったシューマッハに対してイギリスGPからの失格と次戦からの2戦出場停止の処分が下される。ベネトンチームとシューマッハ側はFIAの控訴裁判所に対して異議申し立てを行い、その聴聞が行われるまでに行われる第9戦から第11戦までの間は審議中という形でシューマッハの出走は認められた。 イギリスGP後、シューマッハは地元第9戦ドイツGPはエンジントラブルにてリタイアとなったものの、第10戦ハンガリーGPをピット戦略にて勝利。そして第11戦ベルギーGPを迎えた。ベルギーGPを迎えた時点でシューマッハ76ポイント、ヒル45ポイントとその差は31ポイントもあった。ベルギーGP予選はスパ・ウェザーの影響もありPPこそジョーダンのバリチェロに奪われたものの、2番手シューマッハ、3番手ヒルという結果であった。決勝の方は、シューマッハがトップを快走し、逆にヒルはチームメイトのクルサードにも先行を許す展開となってしまい、クルサードのリアウイングにトラブルが発生したことで結局ヒルは2位にてゴールという結果で終わった。しかし、レース後の車検が長引き、表彰式のシャンパンファイトが終わってもいっこうに正式結果が発表されない事態が発生する。そして、正式な結果が発表されると、そこにはシューマッハの名前はなく、優勝者は2位にてチェッカーフラッグを受けたデイモン・ヒルの名前が記されていた。実はレース終了後の車検にて、シューマッハのマシンのスキッドブロック(車体底につけられる木の板:ドイツGPからレギュレーションに追加されたもの)が既定の厚さを満たしていなかったことが判明。ベネトン陣営はシューマッハが決勝の18周目で喫した単独スピンの際に削られた結果によるものと主張したものの、審査委員会は発表の通り、シューマッハの失格を正式な結果として採用した。そして、ベルギーGP後に行われた聴聞会の裁定にて、イギリスGPの失格と次戦からの2戦出場停止の処分が正式に決定され、シューマッハはその後の2戦(第12戦イタリアGPと第13ポルトガルGP)の出場停止となった。 表彰式後のシューマッハ失格の裁定を受け、ベルギーGP終了時点での両者のポイント差は21ポイントという状況へ変わった。ヒルは2戦出場停止中に反撃する結果となり、予選は2戦ともフェラーリ勢にPPを獲得されるものの、決勝は2戦とも勝利し、この2連勝によってシューマッハとヒルとのポイント差はわずか1ポイントとなり、チャンピオン争いの行方は、残り3戦を残して、出場停止の明けるシューマッハとヒルの直接対決という展開となった。
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