シャブタイ派勃興にいたるまでの時代背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 04:50 UTC 版)
「シャブタイ派」の記事における「シャブタイ派勃興にいたるまでの時代背景」の解説
預言者が活躍していた古代ユダ王国の時代より、ユダヤ人は、民族を苦難の淵から救い出してくれる英雄的人物の到来を待ち望んでいた。その人物こそ「メシア」(マシァハ)と呼ばれる者で、メシアには、神の敵対者と戦い、偶像崇拝を根絶し、エルサレムに神殿を築き、神権体制のもと全世界を本来あるべき姿に修復させることが期待されていた。 1648年から1649年にかけて、ウクライナを中心とした東欧の各地でフメリニツキーの乱(ウクライナ・コサックによるユダヤ人虐殺事件)が起き、累計10万人(推定)ものユダヤ人が虐殺された。当時の東欧のユダヤ人社会では、『ゾハル』の記述を根拠に、ユダヤ暦5408年(1647年〜1648年)が救済の年になるとカバリストによって計算されており、多くの民衆もそれを信じていた。しかし、ユダヤ教には「ヘヴレー・マシァハ」(救世主が現れる前に起きる苦難)という思想があった。すなわち、救済にいたるまでにユダヤ民族の大量虐殺が起こり、尊敬すべき多くのラビが命を失い、残された民は狼狽しながら絶望の淵で救済を渇望することになると信じられていたのである。そこに起きたフメリニツキーの乱は、ユダヤ人社会に凄まじい衝撃を与えることになった。 多くのラビはカバラに没頭し、救世主が現れる具体的な期日の特定を急いだ。一般民衆の間では伝統的に大衆性のない神秘主義を学ぶことは過小評価されていたのだが、これを機にカバラの学習熱が大いに高まることになった。とくに関心が集まったのは、ラビ・イツハク・ルリア(1534年〜1572年)が提示したカバラ体系であった。また、ルリアの思想における救済の概念にも目が向けられた。ルリアのカバラでは、救済の日はこの世の終末に訪れるとされているのだが、天上界におけるティクン(本来あるべき姿に修復すること)はすでに行われていると説かれていた。 この現象は東欧だけでなく、北アフリカや中近東といった各地のユダヤ人社会にも飛び火した。終わりなき迫害に疲弊した民衆の間では救世主待望の機運が急速に高まっていた。このような時代背景を背負ってシャブタイ派は誕生している。そして世界中のユダヤ人を巻き込みながら、近代ユダヤ民族史上有数の危機的な時代を渡り歩くことになる。
※この「シャブタイ派勃興にいたるまでの時代背景」の解説は、「シャブタイ派」の解説の一部です。
「シャブタイ派勃興にいたるまでの時代背景」を含む「シャブタイ派」の記事については、「シャブタイ派」の概要を参照ください。
- シャブタイ派勃興にいたるまでの時代背景のページへのリンク