シアーズ・ローバック社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/31 05:08 UTC 版)
「ジュリアス・ローゼンウォルド」の記事における「シアーズ・ローバック社」の解説
1893年リチャード・シアーズとアルバー・C・ローバックがそれまでの時計会社の名前をシアーズ・ローバック社と変え、徐々に多角化を始めた。ローゼンウォルドとワイルはシアーズ・ローバック社へ男性用衣料品を下ろす主要な業者になった。1893年の不況で売れ残った商品がだぶつき、またローバックが健康を害したために会社を辞めた。シアーズは会社の共同経営者にアーロン・ナスバウムを指名したが、ローゼンウォルドはその会社に興味を抱くようになった。ナスバウム自身も協力者を必要としており、義兄弟となっていたローゼンウォルドに出資を求めた。1895年8月、シアーズはローバックの持分である半分の株式をナスバウムとローゼンウォルドに75,000ドルで売った。 ローゼンウォルドはリチャード・シアーズと共によく働いた。会社には合理的な経営哲学を取り入れ、取り扱う製品を多様化して、衣料雑貨、耐久消費財、薬品、金物、家具など農家が欲しがるようなものを何でも揃えた。1895年から1907年までの間に、ローゼンウォルドは副社長と財務を担当して会社を引っ張り、年商は75万ドルから5千万ドル以上まで上昇した。会社の繁栄によって、シアーズとローゼンウォルドはさらなる拡大を目指し、1906年に株式を公開した。ローゼンウォルドはこの時ゴールドマン・サックスの上級経営者となっていたヘンリー・ゴールドマンに新規株式公開を取り扱わせた。リチャード・シアーズは健康を害して1908年に辞職し、ローゼンウォルドを社長に指名した。 シアーズ・ローバック社は第一次世界大戦後の不況時には低迷し銀行の救済を必要とするまでになった。ローゼンウォルドは私財から2,100万ドルを担保に差し出した。1922年までにシアーズ社は経営的安定を取り戻し、2年後、ローゼンウォルドは社長を辞めてフィランソロピーに力を入れることにした。ローゼンウォルドはシアーズ社の取締役会長に指名され、終生その職を務めた。
※この「シアーズ・ローバック社」の解説は、「ジュリアス・ローゼンウォルド」の解説の一部です。
「シアーズ・ローバック社」を含む「ジュリアス・ローゼンウォルド」の記事については、「ジュリアス・ローゼンウォルド」の概要を参照ください。
- シアーズ・ローバック社のページへのリンク