サン=シモン主義の分裂・夫婦の対立
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「エリザ・ルモニエ」の記事における「サン=シモン主義の分裂・夫婦の対立」の解説
だが、エリザとシャルルが結婚した1831年にアンファンタンとバザールの間に対立が生じ、サン=シモン主義の分裂につながった。対立の原因は道徳に関する教義であり、特に女性の役割や地位、性に関する考え方の違いである。アンファンタンは自由恋愛、性の解放を含む女性の完全な解放を主張したのに対して、バザールの思想は伝統的な道徳観やカトリックの結婚観に基づくものであった。シャルルはすでに教父アンファンタンに対して信仰告白をし、布教(プロパガンダ)活動を牽引していたが、アンファンタンの教義はエリザにとっては受け入れ難いものであり、彼女はこれを「おぞましい不道徳」と表現した。こうして、サン=シモン主義の分裂はエリザとシャルルの不和・対立の原因となった。シャルルは、「熟慮の末」、結婚を秘蹟とするカトリックの教義に基づく1816年5月8日の離婚禁止法の合法性を否定する「女性への呼びかけ」を発表したが、エリザは夫に服従せず、伝統的な結婚観に基づく考えを生涯変えることがなかった。これは二人にとって「深刻な分裂」、「辛い試練」であり、エリザはシャルルに、「心が肯わないこと、理性が拒否することに屈することはできません。そのために身が砕かれても仕方がありません。・・・私にとってあなたの考え、あなたの使徒活動は非宗教的です」と書き送った。 1831年8月にシャルルは「女性の未来」と題する公開講座を開いているが、シャルルによると、この原稿はエリザの考えを反映するものであり、彼女が男女平等ではなく(同じ役割・同じ教育を与え、同じ能力を要求するのでなく)、男女それぞれの特徴を強調し、性別役割分業に基づく相互補完的な協力関係を目指していたことがわかる。また、1841年9月27日付でサン=シモン主義の女性作家アンジェリック・アルノー(フランス語版)に宛てた手紙ではシャルルとの意見の食い違いについて説明し、苦しみを伴う情熱的な関係の後に、「今は穏やかな結婚生活を送りたい」、現代の男女関係は「不評を買う、不道徳なものばかりである」と書いている。
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