コンチネンタルリーグの消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:03 UTC 版)
「1960年のメジャーリーグベースボール」の記事における「コンチネンタルリーグの消滅」の解説
5月17日に、両リーグのオーナーはシカゴに集まって、先に示した10項目の実行と損害賠償に関する交渉を遅くとも12月までに具体化しない限り、独自にリーグ拡大路線を選択することを決めた。これに対してコンチネンタルリーグは当初公式戦を1961年開幕を目指していたが、それを1962年に延長する旨を発表した。それに対して7月10~11日、アメリカンリーグはカンザスシティとニューヨークで開かれたオーナーの会合でそれまでの8球団制から10球団に増やすリーグの拡張(エキスパンション)を極秘に内定した。そしてナショナルリーグも1週間後の7月18日に、コンチネンタルリーグの野球機構への加入、フランチャイズ権(本拠地権)を侵害されるマイナーリーグへの補償が早急に実現されない場合は、両リーグはコンチネンタルリーグに加盟した都市に新しい本拠地権を認め、ナショナルリーグは10球団に拡張するとの通告を行った。この10球団制への拡張は両リーグとも将来的に12球団制への移行も含んでのものであった。 7月20~21日に、ニューヨークでアメリカンリーグ、ナショナルリーグ、コンチネンタルリーグの3つのリーグの代表者が集合して合同会議が開かれ、その席上でコンチネンタルリーグは野球機構への加入を承諾し、マイナーリーグ(アメリカン・アソシェーション、インターナショナル・リーグ、サザン・アソシェーション)への補償は、子どもを除く有料入場者の総入場料の40%を考慮する旨を明らかにして、前年5月21日コロンバスで両リーグが決めた10項目の確認項目の実行を約束することがこの会議で改めて確認された。しかしコンチネンタルリーグが出した金額はマイナーリーグには不満で、アメリカン・アソシェーションは5つの都市が侵害されることで500万ドルを要求したと言われる。 8月2日、シカゴのヒルトンホテルで3つのリーグの合同会議が開かれ、この席で最終的に第三リーグ構想は瓦解し、コンチネンタルリーグは実現を見ないまま消えた。この間にもアメリカンリーグとナショナルリーグは加盟の申請を受け付け始めた。アメリカンリーグには、ダラス=フォートワース、トロント、一方ナショナルリーグにはニューヨーク、ヒューストンが請願していた。ところが、当初はコンチネンタルリーグに加盟した都市から4球団を両リーグに加入させる案が、ここにきて頓挫した。フォード・フリックコミッショナーが、ニューヨークにナショナルリーグのフランチャイズ権を認める発言をすると、アメリカンリーグのヤンキースのオーナーであるトッピングがロサンゼルスにもアメリカンリーグのフランチャイズ権を認めるべきだと声明を発表して、アメリカンリーグの全オーナーがそれを支持したため、ドジャースのオマリーは強く反発した。 この1960年8月からメジャーリーグは未曾有の転換期を迎える状況に直面したのである。
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