コウォブジェク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 10:02 UTC 版)
詳細は「コウォブジェク」を参照 バルト海沿岸のリゾートタウン。遅くとも6世紀にはスラヴ人の村が作られ、塩田によって塩が生産された。972年からポーランド領。ポーランド語でコウォ(Koło)は「サークル」、ブジェク(Brzeg)は「砦」を表し、コウォブジェクは「丸い形をした砦」の意味。11世紀に先住民による自治が回復したが1107年より再度ポーランド領。12世紀よりデンマーク領のちに神聖ローマ帝国領ポメラニア公国の一部となる。1255よりハンザ同盟に加盟、17世紀よりプロイセン領となりのちにドイツ帝国領。第二次世界大戦後から再びポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の戦い、特にドイツ海軍による艦砲射撃により市街地のほとんどすべてが破壊された。戦後ポーランド市民の手によって中世の街並みが再建された。現在は海岸沿いのサマーリゾートとして国内外から観光客がやってくる。街の公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)あり。 旧市庁舎 旧市庁舎 街角 大聖堂と民家 コウォブジェク灯台 ギェウドヴァ通り 国内軍通り 国内軍通り エミリア・ギェルチャク通り エミリア・ギェルチャク通り 大聖堂通り 裁判所 警察署 マリア通り デュボワ通り デュボワ通り 海岸通り 観光桟橋
※この「コウォブジェク」の解説は、「西ポモージェ県」の解説の一部です。
「コウォブジェク」を含む「西ポモージェ県」の記事については、「西ポモージェ県」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からコウォブジェクを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からコウォブジェク を検索
- コウォブジェクのページへのリンク