グリトビケンとリースの奪還とは? わかりやすく解説

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グリトビケンとリースの奪還

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)

フォークランド紛争」の記事における「グリトビケンとリースの奪還」の解説

アルゼンチン海軍最高司令官アナヤ大将は、サウスジョージア島について、将来科学観測基地設けてアルゼンチン実効支配示そう考えていた。その後イギリス艦艇がこの島に近付いているという情報が入ると、一度はこの島をあきらめ部下には無抵抗降伏するよう命じた。しかしその後考え変えて潜水艦「サンタ・フェ」によって、増援として約40名の海兵隊員送り込むことにした。同艦は、4月21日マル・デル・プラタ海軍基地出発し24日深夜カンバーランド湾の入り口到着し25日の2時頃から約2時間をかけて海兵隊員補給物資グリトビケン揚陸した。しかし帰路カンバーランド湾内で第317.9任務群のヘリコプター攻撃され行動不能になり、グリトビケン戻って、キング・エドワード崎に乗り上げた。 第317.9任務群では、この勢い乗じるべきであると衆議一致した。この時点で、上陸部隊主力乗艦する給油艦「タイドスプリング」は潜水艦脅威避けて退避しており、上陸作戦は、駆逐艦フリゲート乗艦しているM中隊指揮班と迫撃砲兵、そしてSASSBS特殊作戦部隊のみで行うことになった。まず13時より、「アントリム」と「プリマス」によってグリトビケンの上準備射撃開始され続いて1330分より寄せ集め部隊79名のヘリボーン展開が開始された。実のところ艦砲射撃が始まるとすぐにアルゼンチン軍白旗揚げており、16時5分には接近した地上部隊がこれを確認し16時30分にはイギリス国旗イギリス海軍旗が掲揚された。この戦闘両軍死者・負傷者はでなかった。 引き続きリース奪還のため、17時15分SASSBS隊員が「プリマス」と「エンデュアランス」に乗艦してリースのあるストロームネス湾へ派遣された。「エンデュアランス艦長無線降伏説得したところ、リースアルゼンチン軍指揮官は、当初は「民間人投降するが海兵隊員は戦う」と返答していたものの、21時45分には「決心変え海兵隊員降伏準備している、イギリス軍指揮官明日リースサッカー場ヘリコプター飛来し欲しい、そこで降伏指示を受ける」と返答変えたイギリス側はいったんそれを認めたが、明朝予定変更して武装解除したのち、上陸していたSASSBS隊員ところに出頭するように命じたその後アルゼンチン側が夜のうちにサッカー場などに地雷敷設していたことが判明しイギリス側判断正しさ裏付けられた。

※この「グリトビケンとリースの奪還」の解説は、「フォークランド紛争」の解説の一部です。
「グリトビケンとリースの奪還」を含む「フォークランド紛争」の記事については、「フォークランド紛争」の概要を参照ください。

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