グラニオンの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 17:59 UTC 版)
「グラニオン (潜水艦)」の記事における「グラニオンの最期」の解説
7月31日朝、グラニオンは護衛艦艇と別れてキスカ島泊地に入港しようとしていた特設運送船鹿野丸(国際汽船、8,572トン)を発見した。鹿野丸は第26号駆潜艇護衛の下、2隻で東北東方面からキスカ島の泊地に入港する予定だった。30日12時ごろにはキスカ湾外に到着したものの、濃霧で第26号駆潜艇を確認することが出来ず、霧が晴れるのを待ち漂泊。霧が晴れてから単独で入港することとなった。15時30分、故障を起こした二式水上戦闘機を揚収した。31日になり霧も薄くなり、一確認を行なった上で予定航路を15ノットの速力で湾内に向けて航海中の5時47分、鹿野丸は魚雷2本が右舷前方から接近してくるのを見た。1本は回避したが、もう1本が命中し右舷機械室を破壊したため、鹿野丸は航行不能となった。鹿野丸の見張り員が、船尾をめぐって左舷側に移動する潜望鏡を発見。8センチ砲とブリッジ上の機銃で潜望鏡が動いているあたりを攻撃した。5時57分、鹿野丸は2度目の雷撃を受けた。しかし、おそらくは鹿野丸に止めを刺すはずであった1本の魚雷は、深度が深すぎて船底を通過し去って行った。6時7分、鹿野丸は3度目の雷撃を受け、発射された3本の魚雷のうち2本が命中した。しかし、幸いにこの魚雷は2本とも爆発せず、命中の衝撃で魚雷の頭部が折れて沈んでしまった。周囲に敵もいなかったのでグラニオンは400メートルにまで接近し、浮上砲戦で鹿野丸を始末しようとしたのか、浮上を開始。これを見た鹿野丸が、前部8センチ砲で小波だっている辺りを集中的に砲撃したところ、6時10分ごろに露頂した艦橋部と思われる部分に命中。最初に射撃を開始してから84発目のことであった。その結果水煙噴出とともに水中爆発音が聞こえ、周囲には重油が多量に盛り上がりながら流出していた。6時35分、基地から航空機3機が飛来し、また敷設艇浮島と一旦はぐれた第26号駆潜艇も駆けつけた。 グラニオンは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章している。また、殊勲の鹿野丸は特設運送船菊川丸(川崎汽船、3,833トン)に曳航されてキスカ島に到着。同島で修理中の同年9月15日に米陸軍航空隊の爆撃を受けて座礁、放棄された。
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