グラックス派虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 06:20 UTC 版)
「ルキウス・オピミウス」の記事における「グラックス派虐殺」の解説
護衛官の殺害に激怒した元老院は、翌日に緊急法令(セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム)を布告し、オピミウスに無制限の権限を与えた。ディクタトル(独裁官)の任命なしにこのような戒厳令が敷かれたのは、ローマの歴史上初めてのことであった。 オピミウスは夜を徹して決戦の準備をした。クレタの弓兵の分遣隊を招集し、元老院議員と騎士階級に、各人が二人の武装奴隷を伴って議事堂へ出頭するよう命じた。グラックスとその盟友マルクス・フルウィウス・フラックスはプレブスの支援を得ていた。翌朝、グラックスとフラックスは元老院に弁明のために召喚されたが、彼らはアウェンティヌスの丘を占拠して、フラックスの末子だけが出頭して「和解の言葉を執政官と元老院に述べた」。 オピミウスはフラックスの息子の逮捕を命じ、自身は武装兵力を率いてアウェンティヌスへと向かった。そこで大規模な戦闘が始まったが、オロシウスによれば、オピミウスが弓兵を投入するまではグラックス派が優勢であった。弓の猛射を受けて、グラックス派は逃走を始めた。フラックスは殺され、グラックス自身は戦闘に参加しなかったためにティベリス川の対岸に逃れたが、敵が迫ってくると奴隷に自分を殺すよう命令した。アウェンティヌスでは合計250人が死亡したが、その後にも大虐殺が続き、3000人が殺害された。グラックス派の死体はティベリス川に投げ込まれ、財産は没収された。オロシウスによると、オピミウスは非常に冷酷であり、多くの無実の人々を理由も告げずに処刑した。 オピミウスは戦闘前に、グラックスの首に対して、それと同じ重さの金を与えると約束していた。グラックスの首を持ってきたのはオピミウスの友人のセプティムレイウスという人物で、脳を取り出して鉛を注ぎ込み、重さを増やしていた。彼は約束通り金を受け取った。しかしプルタルコスによればフラックスの首を持ってきた無名の人々は、報酬を得ることができなかった。ただし、アッピアノスはフラックスの首に対しても報酬が出されたとしている。オピミウスはフラックスの息子に対しても、自決するように命じた。
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