クリミア戦争および第二次イタリア独立戦争
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「フランソワ・アシル・バゼーヌ」の記事における「クリミア戦争および第二次イタリア独立戦争」の解説
クリミア戦争中の1854年10月28日、旅団長に任じられたバゼーヌは、クリミア派遣軍において2つの連隊を率いた。1855年9月8日の連合軍のセヴァストポリ要塞への最終攻勢に際しては連合軍の最高司令官に推任され少将へと昇格、9月22日には占領したセヴァストポリの軍政司令官に任命されている。こうしてバゼーヌは44歳にしてフランス軍中現役最年少の将官となった。10月、セヴァストポリ北部に残るロシア軍にとどめの一撃を加えるため、フランスおよびイギリス混成軍を率いてドニエプル河口のキンブルン半島への奇襲上陸を果たしており、この働きは「現在、ドニエプル河口で作戦行動しているフランス軍を指揮するバゼーヌ将軍は、現代における最も華麗な軍事的達成者の一人として栄光に浴することになるだろう」 と紙上で評された。この間戦傷により行賞をうけ、またキンブルン半島を3日間占領した功によりレジオンドヌール勲章コマンドゥールを拝綬している。1856年1月25日、セヴァストポリ要塞内においてイギリスの初代ゴフ子爵よりクリミア戦争中の功績に対してバス勲章を拝綬した。 フランス凱旋後にはブールジュの第19歩兵師団長に任じられた。1859年の第二次イタリア独立戦争中、バゼーヌはヒラー元帥指揮下の第一軍団所属の第3歩兵師団を率いてオーストリア軍とロンバルディアで戦った。6月8日のメレニャーノの戦いにおいては砲弾の破片により頭部を負傷している。しかしながらその怪我のまま6月24日のソルフェリーノの戦いに参加し、大腿部に銃創および乗馬を射撃され捕虜となった。これらの勇敢な戦いぶりから軍報に掲載された。
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