キングスメンのバージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:22 UTC 版)
「ルイ・ルイ」の記事における「キングスメンのバージョン」の解説
ポートランド出身のロック・バンド、キングスメン(The Kingsmen)が「ルイ・ルイ」を聴いたのは1962年であった。オレゴン州のシーサイドという町のクラブで彼らが演奏している間、ジュークボックスからはロッキン・ロビン・ロバーツによるカバー・バージョンがひっきりなしに流れていた。クラブ全体が立ち上がり踊っているように感じたリード・ボーカリストのジャック・イーリー(Jack Ely)は、メンバーにこの曲を覚えさせ、クラブで演奏するようなった。地元のラジオ局「KISN」のパーソナリティーであったケン・チェイスは、キングスメンを自身が経営するクラブのハウスバンドとし、同時に彼らのマネージャーとなった。 チェイスは1963年4月5日、レコーディングのために翌日のスタジオをおさえた。キングスメンは4月6日午前10時、3本のマイクしかないポートランドのノースウェスタン・スタジオに向かった。ブッキングされた時間は1時間であった。ひとつのマイクは天井から吊り下げられており、ボーカルのイーリーは反り返って歌わざるをえなかった。おまけに彼はそのとき歯列矯正の器具をつけていた。不名誉にも歌詞の言葉はさらに曖昧模糊としたものとなり、ギターソロの後でイーリーは歌の入り方を間違え、すぐに言葉を引っ込めた。レコーディングはワンテイクで終了した。グループは曲の出来に不満をもらしたが、チェイスの判断によりそのままリリースされることとなった。スタジオ代の50ドルはメンバーで持ち寄って支払われた。 同年5月、シアトルのレーベル、ジャーデン・レコードから発売された。 しかし、売上げは振るわず(伝えられるところによれば600枚)、グループは解散まで考えた。転機が訪れたのはボストンのディスクジョッキーのアーニー・ギンズバーグが、行商からレコードを手に入れたときであった。ギンズバーグは番組で「今週の最低レコード」としてキングスメンの「ルイ・ルイ」を紹介。リスナーは即座に反応し、シングルを買い求めた。10月に大手のセプター傘下のワンド・レコードから再発され、12月14日から12月21日にかけてビルボード・Hot 100で2週連続2位を記録した。翌1964年のビルボード年間チャートの99位を記録した。キャッシュボックス誌においては1位を記録した。 「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」の2004年版では55位にランクされ、2010年版では54位にランクされている。
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