ガンビーノのマフィア外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 17:58 UTC 版)
「ガンビーノ一家」の記事における「ガンビーノのマフィア外交」の解説
ガンビーノは、ビオンドを副ボスに、ジョゼフ・リコボノを相談役に据え、弟のポールをカポに昇進させるなど一家の上層部をシチリア(パレルモ)派閥で固めた上で、ファミリー外交に着手した。ジョゼフ・ボナンノープロファチの同盟関係に対抗して、1962年トーマス・ルッケーゼとの政略結婚を通じて味方陣営を固めた。1961年、ギャロ戦争を口実にプロファチに圧力をかけ、引退に追い込もうとした。1962年6月プロファチが病死すると、副ボスで側近だったジョゼフ・マリオッコのボス就任を認めず、1964年1月、傀儡のジョゼフ・コロンボをボスに据えることに成功した。旧プロファチ一家を自陣に加えたガンビーノは、ジェノヴェーゼが投獄され不在の中、コミッションの主導権を握った。プロファチに続いてボナンノ一家の切り崩しを図り、自身やルッケーゼへ暗殺を企てたとの理由でボナンノを執拗に糾弾した。ボナンノは息子に全権を譲って引退するなどと譲歩案を出したがガンビーノを中心とするコミッションに拒否されたため、ボナンノは引退を撤回して状況は泥沼化した。その後、ボナンノ一家の古参幹部の不満を利用して内部分裂を起こさせ、最終的にボナンノを引退に追い込んだ。 ファミリー内では旧アナスタシア派の粛清を行なったが、1960年代半ばアナスタシア派で人望の厚かったアニエロ・デラクローチェを副ボスに抜擢し、旧アナスタシア派の懐柔と監視の両方の役目を与えて組織の分裂を防いだ。1967年ルッケーゼの死亡後、そのガーメント地区の組合利権を乗っ取った。 一家の構成員はカポ20人とソルジャー300人規模と言われ、食肉市場、土建業、港湾貨物、運送屋、清掃業、パン屋・レストランなどを隠れ蓑にヤミ賭博、高利貸し、売春、ポルノ、組合たかり、インサイダー取引、麻薬、窃盗団・詐欺団など多岐にわたる非合法活動を展開した。正式メンバー以外の準構成員・協力者を含めると数千人に達し、テリトリーはニュージャージー、カリフォルニア、バルティモア、フロリダ、コネチカットまで及んだ。1976年のガンビーノの死までに、ファミリーはジェノヴェーゼ一家に代わってニューヨーク最強のファミリーとなった。
※この「ガンビーノのマフィア外交」の解説は、「ガンビーノ一家」の解説の一部です。
「ガンビーノのマフィア外交」を含む「ガンビーノ一家」の記事については、「ガンビーノ一家」の概要を参照ください。
- ガンビーノのマフィア外交のページへのリンク