カシオ日立設立までの経緯とは? わかりやすく解説

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カシオ日立設立までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:51 UTC 版)

カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」の記事における「カシオ日立設立までの経緯」の解説

両社は、現在のauKDDI/沖縄セルラー電話連合)・SoftBank端末供給している。カシオ旧IDO&DDIセルラーグループ時代cdmaOne方式C303CA』(2000年)から、日立は旧DDIセルラーグループ時代1989年TACS方式の『HP-401』、旧IDOでは1996年PDC方式の『D317』からau端末のみを供給していたが、2008年カシオソフトバンクにも供給し始めた合弁会社(=カシオ日立設立の話は2003年7月頃から始まり2003年11月18日に正式発表2004年4月1日からカシオ日立動き始めたカシオ日立として開発され最初端末は、W21CAW22Hであり、これ以降カシオ日立から発売される端末にはカシオ日立製のソフトウェア採用されている。 カシオ日立ソフトウェアベースカシオソフトウェアであるため、それまで日立端末特徴であった「気くばりスイッチ/気くばりセンサー」「ポケベル入力」といった機能省かれ従来からの日立ユーザーを嘆かせた(ただし「ポケベル入力」は2006年夏モデルであるW42Hより復活している)。なお、データ専用端末(W0xH)は日立製であり、カシオ日立開発携わっていない。 ちなみに2004年3月発売されW21Hは、日立ブランドであるにも関わらず奇しくもカシオ製のA5401CA IIによく似た外観である上に、ソフトウェアカシオ製のものが搭載されていた。さらに、その前モデルであるW11Hでは、兄弟機W11Kが京セラブランドで発売されている。日立は、開発サイクル長さによる工場稼働率悪さ苦しみ合弁相手模索してたようだ設立当初拠点として富士ソフトABC(現・富士ソフト八王子事業所同社ホームページ上に記載されていたが、そのような記載無くなっている。一方2006年からは立川オフィス拠点加わっている。このほか、飯田橋にもオフィス日立マクセル本社ビル内)がある。 本社社屋多摩モノレールからよく見えるが、いまだ「CASIO」の看板となっており、カシオ日立モバイルコミュニケーションズであることを示すのは正門小さな記載のみである。また、屋上見えるのはau基地局アンテナである。2019年4月から本社社屋解体工事始まり2019年9月本社社屋解体されている。

※この「カシオ日立設立までの経緯」の解説は、「カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」の解説の一部です。
「カシオ日立設立までの経緯」を含む「カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」の記事については、「カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」の概要を参照ください。

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