カシケの成立とは? わかりやすく解説

カシケの成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 07:53 UTC 版)

カシケ」の記事における「カシケの成立」の解説

アメリカ大陸征服時代スペインは(アステカ王国などの)旧支配機構消滅させたが、地方自治についてはアルテペトル呼ばれる行政単位残したアルテペトルはいくつかの散在する集落構成され1人または複数領主トラトアニ)が治めており、これらの役職に就いていた者を追放することはほとんどなく、多く地域そのままカシケ」として引き継いだ。ただし植民地時代カシケがすべてかつてのトラトアニだったわけではなく、クワウテモックの顧問だったトラコツィンがテノチティトランカシケ任命されケースや、各自治体世襲慣習異なり任命混乱があった。 植民地時代にはカシケは、征服者エンコメンデロ、コレヒドール、宣教師と、インディオ社会との仲介者として機能した首長職の権原血統スペイン人承認にあったため、カシケ支配者物質文化積極的に取り入れて威信誇示したスペイン人は間接統治をやりやすくするため、カシケ土着貴族(プリンシパル)を優遇し、税の免除や、賦役貢納受け取り認めるなど、様々な特権与えた早くも1530年ごろからゴベルナドールという行政官職が各設けられるようになった当初カシケ兼任したが、16世紀半ば頃から投票選ばれた者、もしくは副王任命した者がゴベルナドールになり、カシケ行政権次第小さくなった。 これと並行してスペイン地方自治体ムニシピオ)を元にして、16世紀半ば参事会カビルド)が設置され徐々に摩擦ともないながらカシケ業務肩代わりていったカシケ自身免税特権保持されたが、インディオ人口減少によって受け取れる貢納賦役目減りした。レパルティミエント制が始まると、労働力分配対す影響力なくなったこのようにしてカシケ権威失墜し衰退していく者が多かった一方で18世紀には富裕貴族化したカシケもいた。

※この「カシケの成立」の解説は、「カシケ」の解説の一部です。
「カシケの成立」を含む「カシケ」の記事については、「カシケ」の概要を参照ください。

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