オレンジ共済組合、友部達夫の略史
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「オレンジ共済組合事件」の記事における「オレンジ共済組合、友部達夫の略史」の解説
1980年 - 2月1日、友部は日本中高年連盟を立ち上げ東京都西新宿に「中高年110番」を開設。年金などの無料電話相談を始める。 1983年 - 日本中高年連盟を母体として年金党を結成。友部は、同年の衆院選に東京8区から立候補するが6,042票しか獲れず惨敗に終わる。 1986年 - オレンジ共済組合を設立。参院選に立候補し落選。 1989年 - 参院選に立候補し落選。 1992年 - 共済組合内の社内預金という名目で貯蓄型オレンジスーパー定期の募集を開始。「オレンジ年金企画」を設立。参院選に出馬し落選。 1995年 - 細川護煕の側近であった初村謙一郎の政治団体関係者に政官工作資金として巨額の金を渡し、新進党の比例区の高い名簿順位を獲得し、7月の第17回参議院議員通常選挙に当選。 1996年 - 11月、同組合が出資法違反容疑で捜索を受ける。12月に同組合が倒産。 1997年 - 1月、友部に対する逮捕許諾決議案が可決。詐欺容疑で逮捕される。以後、登院なし。 1997年 - 4月、友部の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」こと東京都内の会社社長男性が第140回国会参議院予算委員会に証人喚問される。 2000年 - 東京地裁で友部に懲役10年の実刑判決。その後、控訴・上告。 2001年 - 5月、最高裁で上告棄却、友部の懲役10年の実刑判決が確定。判決確定により、議員を退職(失職)。
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