オタク漫才とその歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:04 UTC 版)
「天津 (お笑いコンビ)」の記事における「オタク漫才とその歴史」の解説
2003年・次世代のホープ 2003年頃は麒麟・笑い飯の次世代のホープは天津・千鳥・ダイアンという位置づけで期待されていた。この時期に演じていたのは、普通のしゃべくり漫才やコント漫才であった。コント漫才では、例えば向が「料理のことで木村を見下すキザな男」など変わったキャラを演じていたが、決してオタク関連のものではなかった。またこの時期にフリートークでは「日本橋を歩いていたらオタクに間違われた」と語っていた。 2004年・オタク漫才の萌芽 ところが、2004年後半頃から突然オタクを公言するようになり、「萌えジャージ」を自分でも着用し始めるとともに「脳内妹」「脳内猫耳メイド・ゆみみ」などネタでもオタクっぽいボケをするようになった。 2005年・オタク漫才全盛 2005年3月頃はまだネタ中では「自分はオタク」とは明言せず、明らかにオタクっぽいボケをするにもかかわらず木村が「お前オタクか?」と聞いても否定するというつくりになっていた。 そしてその後、2005年夏にかけてネタの部分でもさらに急速にオタク色が濃くなっていった。この期間のネタはもっぱら「もしもオタクが○○だったら」という設定のものばかりになり、オタク先生、オタクコンビニ店員、オタク銀行強盗、オタク美容師などのネタができあがった。とりわけオタク美容師のネタは十八番だったらしく、大舞台では好んで演じていた(天津にはオタク漫才を始める前にも美容師の別のネタがある)。極めつきとしてオタク業界そのものの規模を数字で語るしゃべくり漫才まであった。 さらに2005年8月頃、ネタの冒頭で向が「オタクだにゃん!」という自虐気味のつかみギャグをはじめた。これによってオタク漫才のイメージが完全に定着した。「オタク〇〇」というネタの路線は2005年いっぱいまで続けられ、向が単独でおたくイベントと称した「オタッキー&翼」というイベントを行うほどであった。 2006年・オタク漫才の終焉 2006年に入って、天津のネタはまたも方向転換を示し始め、野菜オタク・お菓子オタク・携帯オタクといった「○○に夢中な人」という意味での「○○オタク」という設定のネタをやり始めた。依然冒頭で「オタクだにゃん」をやりオタク漫才とは銘打っているものの、これまでとは大きく傾向の異なったネタとなり、ステレオタイプ的なオタクを題材にしたネタから離れる傾向が見られる。その一方では、向が単独で前述の濃いオタク要素が満載の「オタッキー&翼」を再度開催するなど幅広い芸風を見せ始めている。 2007年・オタク漫才の発展 2007年に入ると向のオタクボケに対し木村がそれ以上に「濃度」の高いオタク発言で返し、ボケを封じると言う新たな展開を見せ始めた。
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