オウヒツとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > オウヒツの意味・解説 

おう‐ひつ〔ワウ‐〕【王弼】

読み方:おうひつ

226249中国三国時代の魏(ぎ)の思想家山陽河南省)の人。字(あざな)は輔嗣(ほし)。幼くして高名をはせ、何晏(かあん)とともに玄学老荘の学)の始祖といわれる。著「周易注」「老子道徳経注」など。


王必Wang Bi

オウヒツ
ワウヒツ

(?~218
丞相長史

王必は兗州従事として曹操仕えていた。李傕郭汜天子推戴して長安混乱させていたとき、曹操は王必を使者として国家のために奉公したいと長安伝えた李傕らは「関東では勝手に天子立てようとしている。曹操使者送ってきたが本心ではなかろう」と考え、王必の身柄拘束したが、黄門侍郎鍾繇曹操忠誠心保証したので、李傕らは曹操に対してねんごろに応答することになった鍾繇伝》。

建安三年一九八)、曹操下邳城で呂布捕らえたとき、彼を生かしておきたい思ったが、主簿務めていた王必は走り出て「呂布強力な賊です。彼の軍勢はすぐ近くにいるのですから縄目ゆるめていけません」と諫めた曹操は「本当縄目解いてやりたいのだが、主簿許してくれないのでな。仕方あるまいと言い呂布処刑した呂布伝》。

曹操布令下して言った。「領長史王必は、吾(わたし)が切り開いていた時代からの役人で、まじめによく仕事をし、心は鉄石のごとくで、国家善良な役人である。足踏みしたまま彼を召し出さずにいたが、駿馬見捨てて乗らず、どうしてあたふた別の探すことがあるだろうかそれゆえ彼を召し出して然るべき地位就けたが、領長史として事務統括することは以前通りとする」。

建安二十三年二一八)正月太医令吉本少府耿紀司直韋晃吉邈・吉穆らが謀叛起こし、許を襲撃した。このとき曹操は鄴におり、王必が許を守っていた。また南方では関羽勢力強く吉本らは王必を殺害したのち、天子擁して関羽らの支援を仰ごうと考えていた。王必と親しかった金禕という者も計画参加し夜中吉邈とともに王必の軍門放火し、王必を弓で射た武帝紀》。

王必は金禕叛乱参加していることを知らず陣営から走り出彼の邸宅向かった。その門前で「徳禕」と彼の字を叫ぶと、金禕家人はそれが吉邈たちだと思って「王長史殺したのか。卿らの計画成功だ」と言った。そこで金禕叛乱一味であることを知り、許の南の城に逃走した。王必は典農中郎将厳匡とともに彼らを討伐した。こうして吉邈らの軍勢鎮圧されたが、十四日後、王必も矢傷のため死んでしまった。曹操は王必の死を悲しみ漢朝諸官僚を集めて消火参加した者と参加しなかった者に分け、「消火参加したのは謀叛人違いないと言って全て殺してしまった《武帝紀》。

参照韋晃 / 郭汜 / 関羽 / 吉邈 / 吉穆 / 吉本 / 金禕 / 厳匡 / 耿紀 / 鍾繇 / 曹操 / 李傕 / 劉協天子) / 呂布 / 兗州 / 下邳県 / 関東 / 許県 / 鄴県 / 長安県 / 黄門侍郎 / 司直 / 主簿従事 / 従事 / 少府 / 太医令 / 長史 / 典農中郎将 / 領



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オウヒツ」の関連用語

1
10% |||||

オウヒツのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オウヒツのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2024 mujin. All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS