エンブラエル EMB 110
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 21:14 UTC 版)
エンブラエル EMB-110
「バンデイランテ」
エンブラエル EMB 110 バンデイランテ(Embraer EMB 110 Bandeirante)は、ブラジルのエンブラエルが最初に製造した地域路線専用の双発ターボプロップ旅客機である。
概要

ブラジルの国営航空機製造会社のエンブラエルの最初の旅客機として、1960年代中盤に製造が計画された。設計開始は1965年で、軍用のプロトタイプYC-95が初飛行したのは1968年10月であった。その後旅客機のプロトタイプが1972年8月9日に初飛行し、商業路線には1973年4月16日に就航した。
その後様々な軍民様々な派生型が製造されたが、大型化した後継機EMB 120が登場したために、1990年に製造が終了した。1968年から1990年まで軍民あわせて500機生産され、同社を世界的航空機メーカーに躍進させた旅客機である。
愛称は「バンデイランテ(別名:バンデランテ)」といい、ポルトガルの植民地時代のサンパウロの奴隷狩り「エントラーダ(探検隊)」に由来し、ポルトガル語でボーイスカウトの意である。
性能一覧
- 乗員:2
- 乗客:19〜22
- 全長:15.1 m
- 全幅:15.33 m
- 高さ:4.92 m
- 機体重量: 3,516 kg
- 最大離陸重量: 5,670 kg
- 巡航速度:413km/h
- 航続距離:2,001km
- エンジン: Pratt & Whitney Canada PT6A-34 turboprop engines, 559 kW (750 shp)
主なユーザー
- TAM航空
- 西瀬戸エアリンク
- ラロトンガ航空
- ブラジル空軍
- コロンビア空軍 - 1992年12月に、高官輸送用としてEMB-110P1Aを2機導入[1]。
- ガボン空軍 - 2024年時点で、1機のEMB-111を保管中[2]。
日本のバンデイランテ
日本では、西瀬戸エアリンクによって1987年4月に西中国・四国と東九州の地方都市である広島空港(現在の広島西飛行場)、松山空港、大分空港の各空港を結ぶ三角形状の航空路線に就航した。この時の機体は海外で運用されていた中古機であった。
その後同社は営業不振のため撤退し、路線はジャルフライトアカデミー(現・ジェイエア)に移管されたが、1991年9月に後継のJS31が導入されたため退役。日本の空から姿を消した。
脚注
出典
参考文献
- The International Institute for Strategic Studies (IISS) (2024) (英語). The Military Balance 2024. Routledge. ISBN 978-1-032-78004-7
- 帆足孝治・阿施光南『日本の旅客機クロニカル』イカロス出版、2004年
外部リンク
「エンブラエル EMB 110」の例文・使い方・用例・文例
- この建物は1100年に建てられました。
- 私の体重は 110‐120 ポンドの間をいったりきたりしている.
- 1100.
- 現在の円相場は 1 ドル 110 円です.
- 私達は220ボルトから110ボルトまでを変換した
- ヨーロッパ全体に1100万人のユダヤ人がいる
- 中世英語は1100年から1500年の英語である
- 110よりも5多い
- 順序を数える際の序数110
- アラスカ山脈を越えてアンカレッジからノームまで1100マイルも伸びる道
- ニューヨーク・シティの110階建てのツインの高層ビル
- 西暦1100から1450年まで使われた英語
- 1100年頃以前の英国人
- 1100年から1500年までの高地ドイツ語
- 1100年から1500年まで使われていた低地ドイツ語
- およそ1100年までのアイルランドのゲール語
- 1100年から1500年までのアイルランドゲール語
- およそ紀元前1100年に北からギリシャに入ったドリスの古代のギリシアの住民
- 紀元前2500年から1100年ごろに栄えたギリシア本土の青銅器時代の文化
- クレタの青銅器時代の文化で、紀元前3000年−1100年に繁栄した
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