エチオピアとエリトリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)
エチオピアとエリトリアの彫刻製作は、古代のダモト王国とアクスム王国に遡ることができる。キリスト教芸術は、4世紀のアクスム王エザナの治世期に土着信仰からの宗旨替えでエチオピアで築かれた。キリストの像はアクスム王国期および後の時代に教会を飾った。例えば、ラリベラでは等身大の聖人像がベト・ゴルゴタ教会に彫られた。教会は12世紀ザグウェ朝の統治者ゲブレ・メスケル・ラリベラ治世で伝統的に作られたが、それらは15世紀ソロモン朝期に製作された可能性が高い。ただし、入り組んだ彫刻を含むラリベラの岩窟教会群の一つ聖ゲオルギウス聖堂は、10-13世紀に建てられたことが考古学によって証明された。 ティグレ州出土の石像、紀元前6-5世紀 アクスム王国初期の、注ぎ口のある瓶 アクスムのオベリスク、4世紀 行列用十字架 (processional cross) 、12世紀のザグウェ朝 ラリベラのベト・ゴルゴタ教会に刻まれた等身大の聖人像の一つ、15世紀(伝統的にゲブレ・メスケル・ラリベラ治世で作られたと考えられている)
※この「エチオピアとエリトリア」の解説は、「彫刻」の解説の一部です。
「エチオピアとエリトリア」を含む「彫刻」の記事については、「彫刻」の概要を参照ください。
- エチオピアとエリトリアのページへのリンク