エチオピアとの対立と和平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:57 UTC 版)
「エリトリア」の記事における「エチオピアとの対立と和平」の解説
1998年から2000年にかけてエチオピア・エリトリア国境紛争が発生。エチオピアとの関係が再び悪化した。2010年代後半、エチオピアの首相にアビィ・アハメドが就任すると、和解の機運が高まり、2018年7月9日に首都アスマラにおいて、エチオピアのアビィ首相とエリトリアのイサイアス大統領が首脳会談を行い、2018年9月5日にはエリトリアの首都アスマラで、エリトリアとソマリア、エチオピアの3カ国による「包括協力協定」に署名。さらに同年9月16日、サウジアラビアの仲介によりエチオピアとの間で「ジッダ平和協定」に署名した。 2020年から2021年にかけては、ティグレ州紛争でエチオピア政府を支持して参戦した。両国政府は当初、派兵の事実を否定していたが国際社会の圧力を受けて2021年に認め、「TPLFがエリトリアの首都アスマラを砲撃したため」と説明した。4月3日にエチオピア外務省はエリトリア軍が撤兵を開始したと発表した。
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