エチオピアの領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)
「エチオピアの歴史」の記事における「エチオピアの領土」の解説
1993年にエリトリアが独立して内陸国となったエチオピアであるが、アクスム王国の成立まで、最大部族であるアムハラの支配が及んだのはゴンダルとその周辺でしかなかった。紀元前に栄えたアクスム王国もエチオピア北部を支配したが、その意欲はエリトリアや紅海方面への交易にむいており、エチオピア南部を含む現在の国境線は19世紀まであらわれることはなかった。しかし、1850年代にエチオピア帝国のテオドロス2世がエチオピア中央部を平定すると、その後継者のメネリク2世は現在のエチオピアに近い勢力圏を確立した。その理想とする領土は、東はソマリアのオガデン、南はルドルフ湖周辺、西はファショダ、北はエリトリア全域という広大な地域に渡り、メネリク2世は果敢な遠征でそれを達成目前まで押し広げた。しかし、エリトリアはイタリアが領有し、ファショダもイギリスの影響下にあったために、メネリク2世の野望は途中で断念せざるをえなかった。また、東方のオガデンは1970年代後半にソマリアで大ソマリア主義が広がると係争の地となり、オガデン戦争の一因となった。
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