エイズのワクチン研究開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:28 UTC 版)
「奥田研爾」の記事における「エイズのワクチン研究開発」の解説
世界で初めてHIVによる発症が報告され、感染拡大を機に、日本初のエイズワクチンの開発研究に尽くした。1995年の研究では、人工的に合成されたペプチドがTリンパ球を活性化できるという内容のものだった 考案されたエイズペプチドワクチンは、HIVウイルス表面の抗原性を持つ部位にある20種類のアミノ酸を結合して作られた合成ペプチドを用いたものだった。ワクチンの開発研究の成果は国際学会やNature Medicineなどを中心に発表された。(しかし、国内の一部の研究者がマスメディアを通じて研究手順に関する批判を行ったことが研究を進めるうえで大きな弊害となった。) 当時、タイでのHIV感染率が社会問題と化していた背景から、タイ政府からタイでのエイズワクチン開発の打診もあった。そこで、国内での研究から方向性を変え、タイのチュラロンコン大学のファヌパク教授との共同研究を開始し、HIVのペプチドなどのサブタイプに関する多角的な検討にも着手していた。 Nature Medicineにはメディア等が日本の若手研究者の研究を妨害しているとの記載もあった。 本人はワクチンの研究開発が妨害された件について、日本特有の医療システムに問題があると著書で指摘している。著書では、化学及び血清療法研究所などの5つのワクチン研究所がワクチンを生産して他のグループを排除する傾向があると記載されている。 また、Nature Medicineが発表した記事では、「国内の製薬会社が保守的であり、スキャンダルに少しでも関連のある者との関わりを避けがちである」とも指摘されている。なお、当時奥田は個人資金1億5千万程を使ってチンパンジーの感染実験を米国ホワイトサンド研究所にて行った。
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