インターナショナルの終焉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > インターナショナルの終焉の意味・解説 

インターナショナルの終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)

カール・マルクス」の記事における「インターナショナルの終焉」の解説

バクーニン追放することには成功したマルクスだったが、ハーグ大会段階インターナショナルにおけるマルクス権威失われていた。イギリス人メンバーマルクス反対派転じていたし、親しかったエカリウスとも喧嘩別れしてしまっていた。 ハーグ大会の際、エンゲルス自分とマルクス意志として総評議会アメリカ・ニューヨークに移すことを提起したエンゲルスはその理由として「アメリカ労働者組織には熱意能力がある」と説明したが、そうした説明納得する者は少なかった。インターナショナル・アメリカ支部あまりに小規模だった。エンゲルス提案僅差可決されたものの、「ニューヨークに移すぐらいなら月に移した方がまだ望みがある」などという意見まで出る始末だった。『ザ・スペクテイター英語版)』紙も「もはやコミューン運気もその絶頂過ぎたようだ。絶頂期自体さほど高い物でもなかったが。そこがロシアでもない限り、再び運動盛り上がる事はないだろう」と嘲笑的報じた。 なぜエンゲルスマルクスこのような提案をしたのか、という問題については議論がある。マルクス大会前引退ほのめかす個人的心境をクーゲルマンに打ち明けており、彼が『資本論』の執筆のために総評議員をやめたがっていたことは周知の事実だった。このことから、マルクスインターナショナル終わらせるためにこのような提案をしたのだという見解がでてくる。しかしこの説には疑問が残るというのもハーグ大会でマルクスたちはむしろ総評議会の権限強化しているし、大会後マルクスエンゲルス往復書簡内容どのように読んでも彼らがインターナショナルを見限った解釈できるものではないからだ。したがってもう一つの説として、マルクス本部アメリカに移すことによってインターナショナル危機から遠ざけハーグ大会での「政治権力獲得のための政党組織」(規約第7条付則)の決議沿うようにアメリカで社会主義政党結成支援していたインターナショナル幹部フリードリヒ・アドルフ・ゾルゲらアメリカマルクス主義者通じてその勢力保とうとしたのではないか、という解釈生まれる。 しかし結局のところ、アメリカでインターナショナル歴史長くなかった最終的に1876年フィラデルフィア大会において解散決議出され、その短い歴史終えることとなった

※この「インターナショナルの終焉」の解説は、「カール・マルクス」の解説の一部です。
「インターナショナルの終焉」を含む「カール・マルクス」の記事については、「カール・マルクス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「インターナショナルの終焉」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「インターナショナルの終焉」の関連用語

インターナショナルの終焉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



インターナショナルの終焉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカール・マルクス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS