イマーム・アリーの役割とその時代
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「十二イマーム派」の記事における「イマーム・アリーの役割とその時代」の解説
イマーム・アリーは、モスクや集会で説教師として人々に話し、その大半は話を捏造し、ハディースの偽造を恐れなかった説話者たちを、その統治の初期にモスクから追い出し、自らの説話でもってイスラームの知識を語った。イマーム・アリーの講話や話の一部はヒジュラ暦4世紀にセイエド・ラズィーによって『雄弁の道』と題される集成にまとめられた。また彼の約一万一千の格言は『至上の智慧と言葉の珠』と題してまとめられている。 イマーム・アリーは預言者が逝去した後、イスラームとムスリムたちの基本的責任者たらんとした。しかし、およそ25年間、統治の舵をとる指導者となることはなかった。彼は微妙な条件下で、歩みだしたばかりのイスラームを敵や偽善者たちの打撃から守り、分派や分裂を起こさないよう、正面からの衝突を避けた。しかし、統治は確固とした彼の権利であることを説くことを控えることはなかった。 そしてこの間、イマームは諸事の改善ならびに預言者のあり方への回帰、そしてカリフたちが直面し解決できない問題を解決するために可能な限り努力した。彼はその公正なあり方で、人々に、特に新しい世代に預言者の行の魅力的な様相を示すことができた。ムアーウィヤの皇帝的、帝王的な豪奢絢爛さに対して、彼は貧しき者たちに列し、まるで最も貧しい者の一人のような生活をした。その統治は公正・平等・敬虔で有徳な統治であり、気高きイスラームを人々に紹介するものだった。しかしハワリージュ派のテロの犠牲となり殉教した。
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