イスラム教批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:35 UTC 版)
「ジネブ・エル・ラズウィ」の記事における「イスラム教批判」の解説
1991年から『シャルリー・エブド』に寄稿し、2001年に当時の編集長フィリップ・ヴァル(フランス語版)の方針をめぐって内部対立が激化ときに他のジャーナリストらとともに同紙を離れたオリヴィエ・シラン(フランス語版)は以後、同紙の編集部が入った建物に火炎瓶が投げ込まれた事件の後、「シャルリー・エブドへの支持に抗議し、表現の自由を守る」と題する請願書に署名するなど同紙を批判し続けていたが、2013年12月に「もし『シャルリー・エブド』が人種主義者でないと言うのであれば…」と題する記事を自身が主催するウェブ新聞に掲載して物議を醸した。ラズウィは「シャルリー・エブドが人種主義者なら、私が人種主義者か」と題する記事で、彼女が「反イスラム人種主義者」であり「この危険な症候群を『シャルリー・エブド』の編集部から感染した」というシランの主張に、「アゼルバイジャン、ボスニア、マレーシア、エジプト、ブルキナファソのイスラム教徒が一つの《人種》だというなら、私自身がこの人種に属していることになるが、私は無神論者であり、これを誇りに思っている。あなた(シラン)は私たち個人の思想を問題にせずに、人種主義や人種の話をしている」、「イスラム教徒は《人種》ではない」として、真っ向から抗議した。 この主張は、彼女をイスラムフォビアであるとして非難する人々に対する抗議においても一貫しており、「イスラムフォビアというものは存在しない」、これが「イスラム教を批判する者を黙らせるために」作られた言葉であり、「知的欺瞞」であることは、キリストフォビア、ユダヤフォビアという言葉が使われないことを考えただけでもわかる、「なぜイスラム教批判だけが個人の意見ではなく(冒涜罪などの)罪になるのか」、なぜ「フォビアと病気扱いされるのか」、「なぜイスラム教批判だけが《人種》差別とされるのか」と抗議している。また、「私はフェミニストであり」、イスラムのヴェールは「一人の個人、一人の女性の存在を覆い隠す」ためのものであると考えるとしている。さらにイスラム過激派については、「イスラム教には何世紀にも及ぶ長い歴史があるのだから、これを守るために過激派など必要ない」とし、イスラム教が信者個人と「神との一対一の関係を説く宗教」であることを強調している。
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