アーチャー・アベニュー線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/25 05:05 UTC 版)
「プログラム・フォー・アクション」の記事における「アーチャー・アベニュー線」の解説
アーチャー・アベニュー線は当初、63丁目線の一環として、計画されていた南東クイーンズ線、そしてジャマイカ高架線の代替線として着想されたものであった。1976年5月までに、アーチャー・アベニュー線の区間は1983年までに完成すると見込まれていた。しかし1975年から1976年にかけてのニューヨーク市の財政危機により市は債務不履行に陥り、1980年10月に当局はこのプロジェクトを停止し、資金を既存の構造物の修繕へ回すと決定した。この時点でアーチャー・アベニュー線は1984年に完成すると見込まれていた。1981年に、プログラム・フォー・アクションの2路線を除いて新規のプロジェクトに対する入札すべてを停止した際に、MTAはジャマイカ地区の経済改善を助けるために、アーチャー・アベニュー線については完成させることを承認した。 この路線もまた、コンクリートの品質、トンネルへの漏水、建設の速度に関する合意の不成立、そしてトンネルの状態に基づいて連邦の都市大量輸送管理局(英語版)が資金投入をためらっていたことから、建設が遅れていた。しかしながら、予定されていた期日よりも1年早い1983年に完成した。市の財政危機により、計画されていた地下鉄路線はジャマイカ・センター-パーソンズ/アーチャー駅までに短縮され、ロングアイランド鉄道のローカスト・メイナーの線路敷を利用した延伸案のための準備工事も用意された。路線は1988年12月11日に、当初予算のほぼ5倍の費用をかけて、大幅に短縮された全長2マイル(約3キロメートル)で開通した。この路線はジャマイカ・センターまでに短縮されたため、スプリングフィールド・ガーデンズに計画されていた「近代的なターミナル」は建設されず、線路容量は2層の構造を合わせて1時間に12本までと、大きく制約を受けることになった。
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