アーサー王物語との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 02:39 UTC 版)
『薤露行』は、15世紀に成立したトマス・マロリーの『アーサー王の死』と、19世紀の詩人アルフレッド・テニスンの『国王牧歌』及び初期詩篇『シャロットの女(英語版)』を漱石が自由に組み合わせ、変形した短編である。『シャロットの女』については漱石は前書きで触れていないが、テニスンが1842年に発表したアーサー王物語詩のひとつで、日本では1896年に坪内逍遥が『シャロットの妖姫』として翻訳しており、現在確認できる日本最初のアーサー王物語関連の翻訳作品である。 また、『シャロットの女』はイギリスでラファエル前派を中心に多数の絵画が創作された題材だった。漱石のイギリス留学時代(1900年 - 1902年)には、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849年 - 1917年)が制作活動しており、ウォーターハウスが1888年に描いた『シャロットの女』の油彩はテニスンの詩に基づく連作の一つである。この絵画は後にテイト・ギャラリーに寄贈され、同ギャラリーは1897年から開館している。漱石の蔵書にはテイト・ギャラリーのカタログが含まれており、実際にテイト・ギャラリーを訪れて購入したものと考えられる。つまり、漱石はこの『シャロットの女』を見ていた。 なお、シャロットの女とアストラットのエレーンはもともと同じ話であり、二人は同一人物である。アーサー王物語において、本作のように同一の作品で二人が別人格として登場することは稀有である。同様に、地名のシャロット(Shalott)とアストラット(Astolat)も語源は同じであり、漱石はここからエシャロット(shallot)そして中国の薤との掛詞とすることを思いつき、『薤露行』と命名したものと考えられる。
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