アーサー王物語におけるケイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:31 UTC 版)
「ケイ (アーサー王伝説)」の記事における「アーサー王物語におけるケイ」の解説
トーマス・マロリーのアーサー王の死においては、アーサー王の義兄にして忠臣として描かれている。この物語においてケイ卿はアーサーの乳兄弟として育ち、万聖節の日(11月1日)に騎士となる。ある日の馬上槍試合においてケイ卿は剣を折ってしまい、代わりの剣を弟であるアーサーに取りに行かせる。アーサーは家に戻り剣を探すが見つからなかったため、代わりに大聖堂前の石に刺さっていた剣(カリバーン)を抜いて持ってくる。この出来事がきっかけでアーサーは自身がユーサー・ペンドラゴンの息子であるということを証明し、新王の資格を有することを知る。アーサー王が即位した後、ケイ卿は司厨長に任命される。その後、アーサー王にベディヴィアと伴われてモン・サン・ミッシェルの巨人を討伐するなどの活躍を見せる。ケイ卿の最期には諸説あり、ローマ軍との戦いで戦死したりするものがあるが、カムランの戦いで果てたのが通説となっている。 後世の文献では、ケイ卿の性格には道化的で愉快な性格がみられるようになる。たとえば、ハルトマン・フォン・アウエの『イーヴェイン』では、ケイはケノンに話を求め、ケノンが自分の体験した泉での不思議な出来事を語る。その話を聞いたケイは「そんな話はウソだろう。」と嫌味を言うが、そのあまりの口の悪さに王妃グィネヴィアはケイを叱責する。 一方で、フランスの「聖杯」の散文物語『ペルレスヴォ』では、アーサーの息子ロホルト(『アーサー王の死』に登場するボーレと同一人物とも)を殺害し、島々のブリアンと共にアーサーに反旗を翻す不義の臣として描かれている。
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