アンカス
アンカス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 03:52 UTC 版)
数々のアルゴンキン系言語を話したコネチカット州の部族にとって、16世紀初期は重大な転機の時代であった。欧州人の急速な入植によって土地と資源を巡る競争が激化し、新たな疫病は危険な速度で先住民人口を激減させていた。当時のピクォート族では、ピクォート族のサッサクス首長と有力者アンカス(1598年 - 1683年)の間で闘争が生じていた。 アンカスは従者らと部族を離れ、先祖が称したのに従い、「オオカミの民」の意味を持つ「モヒガン」を自称するようになった。また、各部族はイギリス人や他の欧州人との衝突にそれぞれ違った対処の考えを持っていたが、アンカスはイギリスの入植者たちと協働することを好んだ。サッサクス指導下のピクォート族は入植者と戦争する道を選び、1637年から1638年まで続いたピクォート戦争は、他の先住民族もどちらか一方について戦闘に参加した。 止まない戦いによって生じた戦争被害の深刻さを見兼ねたアンカスは、欧州の侵略者と和平な関係を築いたが、先住民族間で物議を醸すようなこの選択肢はアンカスとモヒガン族に対して、ピクォート戦争を戦い続けるイギリス陣営との不安定な同盟を組むのに余儀無くさせた。結果としてモヒガン族は、イギリスがピクォート族を倒す一助となった。 戦後、アンカスはナラガンセット族からの侵入を防いだ、テムズ川沿いのシャントック村まで人々を連れた。ナラガンセット族の侵入もまた、欧州人の入植や入植によって派生した先住民族間の衝突から生じたものであった。モヒガン族のイギリスとの同盟は、その後フィリップ王戦争(1675年 - 1676年)中も、入植者からの攻撃から人々の安全を比較的守ったものとされている。
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