アラビアンナイトとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 01:14 UTC 版)
「アリババと40人の盗賊」の記事における「アラビアンナイトとの関係」の解説
この物語の原典・出所については複雑な事情がある。 まず、18世紀初めにフランスの東洋学者のアントワーヌ・ガランが『千夜一夜物語』の第11巻に入れた("Histoire d'Ali-Baba et de quarante voleurs exterminés par une esclave")ことで世界中に知られたが、『千夜一夜物語』の原本の中にも、独立の写本にしても、アラビア語原典が見つからなかった。ガランは、シリア北部アレッポの出身でフランスに滞在していたハンナ・ディヤーブ(Hanna Diab 又は Youhenna Diab)から聞き取り、千夜一夜の翻訳の続きに加えたとしている。 1908年に至り、ダンカン・B・マクドナルド(英語版)がオックスフォード大学のボドリアン図書館の写本目録の中からアラビア語原典の存在を確認し、1910年に英国王立アジア協会の雑誌にその原文を発表した。これで原典探しは一件落着となったとされた。日本では、この原文は前嶋信次によって日本語に訳され、1985年、前嶋の死去のあと、平凡社東洋文庫「アラビアン・ナイト」の別巻として出版されている。ただし、前嶋は、「果たしてガランが使用したものと同じか否か、両者間に文体の差があって不確かである。またシリア系の説話という説が有力だが、トルコやスラブ系の説話の影響も認められる」としている。 ところが、1984年にハーバード大学のアラビア語の教授であったムフシン・マフディー(英語版)が、「千夜一夜物語」の原型といわれるものの復元に成功して、「初期アラビア語原典による千夜一夜物語の書」という、画期的な研究成果を発表し、今まで解明されていなかった多くの問題に光を与えるところとなった。マフディーの写本研究はまた思いがけない発見をしている。マクドナルドが発見したアラビア語写本をマフディーが子細に検討した結果、この写本はド・サシーの門下生で、18世紀の後期に商人となってエジプトに移り住んだジャン・ワルシー(Jean Varsi)というフランス人の筆跡によるもので、ガランのフランス語訳から逆にアラビア語に訳し直したものと解明された。結局、この有名な物語は、「アラビアン・ナイト」の外典として存在していたのか、ガランが創作したのか、何によったのか、出所探しは振り出しに戻ってしまった。 なお、「アリババと40人の盗賊」、「アラジンと魔法のランプ」のように、アラビア語の原典が見当たらない物語群は「orphan stories」や「orphan tales」と呼ばれている。
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