アメリカ合衆国での展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 10:00 UTC 版)
「第二帝政期建築」の記事における「アメリカ合衆国での展開」の解説
アメリカ合衆国では、第二帝政期建築は通常矩形の塔あるいは塔に類似した要素と組み合わされ、傾斜が急な二重勾配屋根がフランスに根ざす様式に最も深く結びついたものになっている。塔は最上階と同じ高さにするか、あるいは1、2階分高いものとなっている。二重勾配屋根の稜線には鉄製の縁が付けられることが多く、「クレスティング」と呼ばれることもある。場合によっては、避雷針がクレスティングのデザインと一体になり、装飾以上に有益なものとなっている。このクレスティングは現在も残っているものがあるが、腐食したり取り外された例も多い。建物外観は木材、レンガ、石材で表現されている。よく取り入れられている要素として、組になった柱や、ドア、窓、ドーマー(屋根窓)の回りの彫刻がある。これら装飾の目的は、建築物を堂々とさせ、壮大で高価に見せることである。 平面図で見れば、塔が中心に来る対称形であるか、塔が片方に寄る非対称形になっている。マカレスターなどは5つの小分類を設けている。 単純二重勾配屋根 – 約 20% 中央に合わせたウィングあるいは切妻(張り出し窓がどちらかに突き出ている) 非対称 – 約 20% 中央の塔(時計付き) – 約 30% タウンハウス 建築家H・H・リチャードソンはその初期住宅建築の幾つかにこの様式を取り入れた。その中には、全て1868年建設のマサチューセッツ州ボストンのクラウニンシールド家屋、ニューヨーク州スタテンアイランドのH・H・リチャードソン家屋、同じくバッファローのウィリアム・ドーシャイマー家屋がある。 ルランド・M・ロスはこの様式を「第二帝政バロック」と呼んでいる。グラント政権(1869年-1877年)の時代に政府の建物に人気があったことにより、ミュレットとスミスは「第二帝政あるいはグラント将軍様式」と呼んでいる。 この様式は商業建築にも使われ、また州の機関ビルの設計に使われることも多かった。いくつかの精神科病院ではその大きさや機能にこの様式が適合していた。1940年代にペンタゴンが建設される以前、オハイオ州コロンバスに第二帝政期様式で建てられたオハイオ州立精神病院は、アメリカ合衆国でも最大の1つ屋根建築物だった。ただし、カークブライドが計画した別の第二帝政期様式であるグレイストーンパーク精神病院が最大である可能性もある。 第二帝政期様式の後はアン女王様式の復古調とそれに準ずるものが流行して大きな人気を博したが、19世紀が終わる直前の1893年にイリノイ州シカゴで開催され万国博覧会の建築物で人気を得た、アメリカ建築の「リバイバル時代」が始まった。
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