アメリカの保護主義と工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
アメリカは独立後もイギリスとの貿易が最も多く、保護主義が影響力を持った。アメリカ独立時の政治家で初代財務長官であるアレクサンダー・ハミルトンは、『製造業に関する報告書』で重商主義にもとづく保護貿易を主張して、自由貿易を推進するイギリスを批判した。ハミルトンの主張は経済政策に取り入れられ、アメリカ・システムと呼ばれるようになる。1816年から1846年にかけては保護主義の影響が大きく、1846年から1861年には自由主義時代となる。1850年代には灯油産業が最盛期となり、原油から灯油を精製する技術と、掘削技術の発達で、1860年代には石油精製事業が急成長をして、スタンダード石油が石油業界を支配した。 1861年の南北戦争の時代には、北部の産業資本家や商人は保護貿易を支持して、南部のプランテーション所有者や農民は自由貿易を支持した。南北戦争で北部が勝利すると貿易政策は保護主義が中心となり、関税率が上げられた。南北が統一されて奴隷制廃止になると、プランテーションでの農業から工業へとうつる人口が増えて、工業製品の輸出増加にもつながった。1880年代の不況期には合理化が図られて、フレデリック・テイラーによる管理法が工業の大量生産を確立し、ヨーロッパへ工業製品が輸出されてアメリカは世界貿易における主要国となる。フロンティアが消滅したのちのアメリカは、貿易の輸出先を求めて太平洋からアジアへと進出する。米西戦争でカリブ海やフィリピンなどのスペイン領を得て、中国の門戸開放を求めてヨーロッパや日本と対立した。
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