アビスパ福岡時代
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2013年は、山形在籍時のチームメイトである宮本卓也と共にアビスパ福岡へ完全移籍した。シーズン終了後、契約満了により1年で退団。
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アビスパ福岡時代
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国見高校卒業後の2005年にアビスパ福岡に加入。プロ入り2年目の2006年から徐々に出場機会を得るようになった。 2009年の天皇杯2回戦・愛媛FC戦で左膝前十字靱帯損傷の大怪我を負い、長期間の欠場を余儀なくされるも、翌年の復帰後からは大久保哲哉と2トップを組み、再び主力として活躍。9月12日に行われたジェフユナイテッド千葉との直接対決では後半43分に勝ち越しゴールを決め、クラブを昇格圏内の3位に浮上させた。 J1に昇格した2011年は、第10節の横浜F・マリノス戦で2得点を挙げて以降、一時的に調子を崩したが、第20節の川崎フロンターレ戦で2得点を挙げて逆転勝利に貢献してからは調子を上げていく。最終的にチームは降格するも、岡本英也(8得点)に次ぐチーム2位の7得点を挙げた。 再びJ2降格した2012年は18位と低迷した福岡にあって、41試合に出場しチーム最多の12ゴールを記録。その活躍が認められ2012年J1王者となったサンフレッチェ広島を含む複数クラブから獲得オファーを受けるがこれを固辞し残留した。 2015年はキャプテンに就任した。 2019年2月24日、シーズン開幕戦のFC琉球戦で通算400試合出場を達成。
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