アセアン(ASEAN)成立以後の東南アジア諸国の協調体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:17 UTC 版)
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詳細は「東南アジア諸国連合」を参照 1967年8月には、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5か国によって東南アジア諸国連合(アセアン)が成立。当初は、冷戦構造との自律的関係および地域紛争の自主的、平和的解決を目的としており(とはいえ、加盟国はいずれも反共であった)、とりわけ、1975年のサイゴン陥落以後の緊張関係を乗り切ったことで、国際社会でも注目を浴びるようになった。そして、その後は、各国の強権的な経済開発を背景とした経済関係の緊密化に伴い、貿易、資源、技術などを中心とした域内経済協力の枠組み整備(域内特恵制度の拡充や関税引下げなど)が進められるようになった。 1986年のフィリピンの2月革命、1998年のスハルト辞任などに見られる東南アジアの民主化運動が急速に進行し、東南アジア諸国家で自国の政治的、文化的な国民形成の動きを早めている。1990年代以降、政治的大衆主義や民衆的な文化ナショナリズム構築の流れが顕著になった。特に1999年のカンボジア加盟によるASEAN10の成立は、国際的、東南アジア諸国間相互で国家領域が確定し、承認された。1999年以降の東南アジア史研究は、東南アジア諸国家の形成過程を中心に据えるようになった。
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