アクション (バンド)
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アクション ACTION |
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出身地 | ![]() |
ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル |
活動期間 | 1975年-1998年、2003年- |
事務所 | 代官山プロダクション(2003年〜2009年) 有限会社さくら咲く(2009年〜) クラッチ.(業務提携/2009年〜) |
メンバー | 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター) 大谷ケイイチ(ベース、ボーカル) 武長一仁(ギター) 秋田鋭次郎(ドラム) |
旧メンバー | 山根基嗣(ギター) 本宮日登士(ドラム) 広川大輔(ギター) 笹井りゅうじ(ベース) CHAKI(ドラム) |
アクション(ACTION)は、1982年に高橋ヨシロウ(元山水館、ノヴェラ)が中心になって結成したハードロック・ヘヴィメタルバンド。1984年デビュー。有限会社さくら咲く所属。クラッチ.と業務提携。
1998年に解散するも、2003年に再結成する。ハードロックなサウンドでありながら日本語歌詞で歌ったり低年齢層にも配慮した展開は結成当初においては異色であった。
2005年には特撮テレビドラマ「ウルトラマンマックス」に出演し、話題となった。中心メンバーの高橋ヨシロウは大の特撮ファンとして有名であり、ヨシロウ個人が円谷プロダクション作品に出演するのは「ぼくら野球探偵団」以来である。
メンバー
- 第7期 2006年~
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター) 元山水館、ノヴェラ
- 大谷ケイイチ(ベース、ボーカル) 元蘭丸団
- 武長一仁(ギター)
- 秋田"EIJIRO"鋭次郎(ドラム) 元だるま食堂、シェラザード、ノヴェラ、第1期以来の復帰。
過去のメンバー
- 第1期 1982年~1984年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 大谷慶一 (ベース、ボーカル)
- 山根"MOCK"基嗣 (ギター) 元山水館、ノヴェラ
- 秋田鋭次郎(ドラム) 体調不良により脱退する。
- 第2期 1984年~1985年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 大谷慶一 (ベース、ボーカル)
- 山根基嗣 (ギター)
- 本宮日登士(ドラム) 元パンドラ Pierce
- 第3期 1985年~1989年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 大谷慶一 (ベース、ボーカル)
- 広川大輔 (ギター)
- 本宮日登士(ドラム)
- 第4期 1989年~1997年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 大谷慶一 (ベース、ボーカル)
- 広川大輔 (ギター)
- 西田竜一(ドラム)元SOPHIA、ノヴェラ、VIENNA、JACKS'N'JOKER
- 第5期 1997年~1998年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 笹井りゅうじ (ベース) 元ノヴェラ。その後はゲームミュージックを手がけることが多くなった。詳しくは当該項目を参照。
- 広川大輔 (ギター)
- 西田竜一(ドラム)
- 第6期(再結成時) 2003年~2005年
- 高橋ヨシロウ(ボーカル、ギター)
- 大谷ケイイチ(ベース、ボーカル)
- 武長一仁(ギター) 元Pierce
- CHAKI(ドラム)
ディスコグラフィー
- ACTION! KIT 1(1984年3月21日、日本フォノグラム 20PL-41)
- HOT ROX(1984年5月21日、日本フォノグラム 28PL-78)
- ACTION! KIT 2(1984年11月21日、日本フォノグラム 25PL-1)
- HEART RAISER(1985年5月10日、日本フォノグラム 28PL-96)
- WARNING IN THE NIGHT(1986年3月5日、日本フォノグラム 28PL-116)
- MOVIN' AND ROCKIN'(1987年9月21日、Victor VDR-1422)
- OVERLOAD(1988年4月21日、Victor VDR-1497)
- INTERACTION(1988年11月21日、Victor VDR-1563)
- 動(1989年9月21日、Victor VDR-1639)
- GUILTY ROSE(2005年9月22日、DXCL-84)
- Mystic Blue (2007年11月7日、DXCL-112)
関連項目
外部リンク
アクションバンド
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『アクションバンド電波』(アクションバンドでんぱ)は、かつて株式会社マガジンランドが発行していた月刊誌。略称「AB」。
三才ブックスで「月刊ラジオライフ」(RL)の編集長を務めていた伊藤英俊が、1987年に東京都八王子市の無線販売店パックスラジオとRL関係者を引き連れ独立、「マガジンランド(当初は有限会社)」を設立して本誌を創刊した。RLと同様にアマチュア無線や業務無線、ハッキング等の情報を提供していたが、2005年10月号をもって休刊した。
かつては、別冊としてアマチュア無線機の送信改造方法を掲載した「送信改造バイブル」や、周波数情報を手帳サイズで収録した「周波数バイブル」を刊行していたが、現在では「周波数バイブル」のみが「歌の手帖」の別冊として毎年8月に発行されている。また改編期直後に「コミュニティFM番組表」を付録としてつけていた時期もある。
誌名の「アクションバンド」とは「業務無線の周波数帯域」を意味する言葉であった。先行誌のRLで多用されていたが、ABが発刊後には「おもしろ無線」という造語に置き換えられた。
雑誌の特徴
創刊当時は、先行雑誌であるRLへの対抗のために、それまでRLでタブーとされていた送信改造を積極的に公開。当時問題になっていた偽造テレホンカードなどの解析記事などを紹介していた。
当時は携帯電話の黎明期であり、その通信方法がアナログFMだったために、受信方法などを掲載していた。
編集体制
自遊舎
1993年秋、ABなどの編集を行う「自遊舎(当初は有限会社)」が設立された。しかし、1997年にはABの編集から手を引く。そして、1999年にはABと類似の雑誌「電波ワールド」を創刊した。RLからABが分かれたように、更に分岐が起きたわけである。
その他
- 1992年の映画『七人のおたく』において「受信おたく」に関する監修を行った。
- 朝日新聞1998年9月7日の「マガジントリップ」でRLとABが取り上げられた。これは、ある雑誌に対して文化人などにコメントさせるという企画記事で、この回は小田嶋隆が担当した。当時の大山俊一編集長も登場した。
外部リンク
- 株式会社マガジンランド公式サイト(1987-2021)
- アクションバンド電波バックナンバー[リンク切れ]
- 個人ブログアクションバンドはなぜ休刊しなくてはならなかったか?
「アクション (バンド)」の例文・使い方・用例・文例
- アクション!
- そのアクション映画の上映中,私たちはずっと体をのり出していた
- ほとんどの人がアクションの訓練をする
- アクションいっぱいの映画
- ボルトアクション方式のライフル
- わが社のマーケティング戦略の実施にはアクションプログラムが欠かせない。
- アクションラーニングは経験の浅い人間が問題解決の方法を学ぶ効果的プロセスである。
- 実績評価では、評価者は公正で合理的評価を行うため、リアクション効果を排除しなければならない。
- 当社はポジティブアクションに賛同しており、多くの女性が管理職に昇進している。
- アクションの後にその音楽が流れた。
- 彼らはアクション映画よりも多くのコメディ映画を観ます。
- この映画は、アクション、ドラマそしてサスペンスものです。
- 彼女はアクションスターだ。
- 私が次に取るべきアクションを教えてください。
- 私は彼のカーアクションを早く見たいです。
- 彼は激しいアクションシーンを演じている。
- 何のアクションも起こさないつもりです。
- 私は彼のリアクションが良くなったと思う。
- 我々のアクションが何か必要な場合は
- 課長のリアクションを観察していれば、プレゼンが成功か失敗かはほぼ確実に判断できます。
固有名詞の分類
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