アカプルコ貿易(ガレオン貿易)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:00 UTC 版)
「フィリピン総督領」の記事における「アカプルコ貿易(ガレオン貿易)」の解説
詳細は「マニラ・ガレオン」を参照 マニラはインディアス艦隊の西の中枢であり、マニラ・ガレオンはビコルとカヴィテに建てられた。フィリピンとスペインの間での貿易は、太平洋を経由してメキシコに(マニラからアカプルコ)、そしてカリブ海と大西洋を渡ってスペインに到達する(ベラクルスからカディス)、という形で行われた。17世紀から18世紀の間、マニラはアジア貿易の中心都市となった。中国、日本、ブルネイ、モルッカ諸島、さらにはインドからあらゆる種類の作物がマニラに送られ、アカプルコから持ち込まれた8レアルの銀で売られた。絹、磁器、香辛料、漆器や繊維製品を含むこれらの商品はアカプルコに送られ、そこからヌエバ・エスパーニャの他の地域、またペルー副王領やヨーロッパにも送られた。 最初の時期、アカプルコ貿易は植民地の主な収入源であった。貿易は1565年に開始され、19世紀初頭まで続けられた。アカプルコ貿易では、ヌエバ・エスパーニャから持ってきた銀を、中国の絹、モルッカ諸島の香辛料、日本の漆器やフィリピンの綿織物といった、アジア商品の購入に使用した。これらの商品はやがてヌエバ・エスパーニャに輸出され、最終的にはヨーロッパに送られる。こうして、フィリピンはアカプルコ貿易を通じて利益を得た。スペインにとって、アカプルコ貿易は本国とフィリピンを結び付けるものであった。 貿易が確かにフィリピンにとって有益な結果をいくつかもたらした一方で、影響のほとんどは不利なものであった。しかし、貿易はトマト、アボカド、グアバ、パパイア、パイナップル、馬といった新たな作物や動物をフィリピンにもたらすことに繋がる、アジアとアメリカの間での文化的、商業的交換において結果を残した。これらは植民地に最初の実質所得を与えた。この貿易は200年に渡って続き、アメリカがスペイン植民地を受け継ぐより前の1815年に行われなくなった。
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