アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備とは? わかりやすく解説

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アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 05:48 UTC 版)

日西墨三国交通発祥記念之碑」の記事における「アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備」の解説

1975年昭和50年6月28日茂原市在住井桁三郎が、農業視察のためメキシコ訪れた際、アカプルコ市長表敬訪問し、岩井敏夫御宿町長(在任1967年 - 1979年)からのメッセージ届けた。これがきっかけとなり、アカプルコ御宿との交流始まった1977年昭和52年10月2日駐日メキシコ大使ハビエル・オレア・ムニョスらの一行記念碑訪れたこの際御宿町側は大使通じて当時メキシコ大統領ホセ・ロペス・ポルティーヨに、記念碑大理石再改修したいので、大理石贈呈してほしいと打診した11月13日メキシコ政府は、「記念碑改修より、メキシコ庭園造るべきであり、メキシコ政府援助する」という意向伝えてきた。このため御宿町ではメキシコ政府援助のもと、記念碑周辺に「メキシコ記念公園」を整備することになる。 1978年昭和53年8月メキシコクエルナバカ開かれた第15回国際姉妹都市会議において、8月3日大多喜町クエルナバカ市、7日御宿町アカプルコ市が、それぞれ正式に姉妹都市協定結んだ11月1日来日したロペス大統領御宿町大多喜町訪問した大統領はまず、ヘリコプター岩和田港に到着し、港から記念碑までをパレード完成したメキシコ記念公園」の記念碑除幕式出席した続いて川上紀一千葉県知事とともにヘリコプター千葉県立大多喜高等学校校庭移動し大多喜城までのパレード行ったこの際国鉄木原線(現・いすみ鉄道大多喜駅から大多喜城までの坂道が「メキシコ通り」として整備されロペス大統領によりテープカットが行われている。また、御宿駅前から岩和田までの道は、大統領の名をとって「ロペス通り」と名づけられた。

※この「アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備」の解説は、「日西墨三国交通発祥記念之碑」の解説の一部です。
「アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備」を含む「日西墨三国交通発祥記念之碑」の記事については、「日西墨三国交通発祥記念之碑」の概要を参照ください。

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