アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備
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「日西墨三国交通発祥記念之碑」の記事における「アカプルコとの交流とメキシコ記念公園の整備」の解説
1975年(昭和50年)6月28日、茂原市在住の井桁三郎が、農業視察のためメキシコを訪れた際、アカプルコ市長を表敬訪問し、岩井敏夫御宿町長(在任1967年 - 1979年)からのメッセージを届けた。これがきっかけとなり、アカプルコと御宿との交流が始まった。 1977年(昭和52年)10月2日、駐日メキシコ大使ハビエル・オレア・ムニョスらの一行が記念碑を訪れた。この際、御宿町側は大使を通じて、当時のメキシコ大統領ホセ・ロペス・ポルティーヨに、記念碑を大理石に再改修したいので、大理石を贈呈してほしいと打診した。11月13日、メキシコ政府は、「記念碑の改修より、メキシコ風庭園を造るべきであり、メキシコ政府も援助する」という意向を伝えてきた。このため、御宿町ではメキシコ政府の援助のもと、記念碑の周辺に「メキシコ記念公園」を整備することになる。 1978年(昭和53年)8月、メキシコのクエルナバカで開かれた第15回国際姉妹都市会議において、8月3日に大多喜町とクエルナバカ市、7日に御宿町とアカプルコ市が、それぞれ正式に姉妹都市協定を結んだ。 11月1日、来日したロペス大統領が御宿町と大多喜町を訪問した。大統領はまず、ヘリコプターで岩和田港に到着し、港から記念碑までをパレード、完成した「メキシコ記念公園」の記念碑除幕式に出席した。続いて川上紀一千葉県知事らとともにヘリコプターで千葉県立大多喜高等学校校庭に移動し、大多喜城までのパレードを行った。この際、国鉄木原線(現・いすみ鉄道)大多喜駅から大多喜城までの坂道が「メキシコ通り」として整備され、ロペス大統領によりテープカットが行われている。また、御宿駅前から岩和田までの道は、大統領の名をとって「ロペス通り」と名づけられた。
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