ものゝ芽の雪降るときも旺んなり
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
一年の半分は雪とのかかわりを考えながら暮らす北海道。雪との闘いと言ってもいい程苛酷な日々もある。寒気の漲るなか地上にも地下にも凍てに耐えている生命が存在する。北方に暮らす者にとって待春の思いは強く深い。春めいた空が訪れたかと思う翌日はまた雪が降ったりと、行き戻りする寒暖の空気のなかで春へ思い馳せる。固い鱗のような木々の芽が、少しふくらんで来るのを眺める嬉しさは格別のものがある。伊藤凍魚は福島会津に生まれた。長じて東京、樺太、北海道の札幌、旭川と居を移し、北方人としての生活を送り、北方俳句を提唱し、生涯俳句を見据え生き抜いた。厳寒の地樺太での日々、北海道でも特に寒冷の地旭川と、寒さと雪の体験は骨髄に沁みついている。雪中の寒さに耐え育つ木の芽、草の芽へ寄せる思いは、植物たちの営為を旺んなりと言いとめた。この認識は作者渾身の叫びとして受容したい。 3.11の東日本大震災のニュース映像で私たちは、津波による瓦礫の山からすっくと起ちあがり芽吹きはじめた一本の木の力強い命の輝きを目前にした。そして、災害報道のなかに一株の水仙の花の映像が発する黄色い光の鮮やかさに希望の色を認めた。瓦礫のなかで冬を耐え雪降るなかで芽吹くものたちの力強さ。北方人としてこの生命を讃え、力を湧き立たせ、困難を越え、やがて来る春に備える心延えを表出する。北方に暮らす者たちへの激励のことばとして受取りたい。北の地にしっかりと根ざした志と、自然の営みを受容するおおらかな優しさに充ちた心をしのばせる。 明るい気力に満ちた作である。 |
評 者 |
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備 考 |
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